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【コラム】日本が憎ければ網を結べ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.05.04 08:11
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ルネサンスの出発点はイタリアだった。14世紀にイタリアの詩人ペトラルカが第一歩を踏み出した。古代ギリシャ・ローマを文化の絶頂期、中世を創造性が踏みにじられた暗黒期と規定した。したがってギリシャ古典学問と芸術の復興なしには文明の復活と社会の改革は不可能だと考えた。その後、古典の再解釈の流れが生じた。

16世紀、イタリアの美術史家バザーリは『イタリア画家・彫刻家・建築家列伝』という本で、「古代以降に衰退した美術がジョット(イタリア画家)により復活した」とし、復活を意味するイタリア語「リナーシタ(rinascita)」を使った。続いて18世紀に出てきたフランス百科事典は、学問と芸術の花が咲いた新しい時代を説明しながら、同じ意味のフランス語「ルネサンス(renaissance)」を使った。その後、ルネサンスは世界の公用語になった。

 
イタリアの人々は悔しいはずだ。芸は自分たちを越え、名誉はフランスが得たからだ。でもどうしようもない。18世紀には学問と芸術の中心がフランスだったから。力が法でありお金が道徳というのが国際秩序ではなかったか。

我々はイタリアを心配する立場ではない。悠久に呼んできた「東海(トンヘ)」さえも「日本海」になるかもしれない時ではないか。国内で発行された教材さえも日本海と表記されるあきれるようなことまで起きているのが現実だ。外国の地図をそのまま使って生じたハプニングだが、それだけ国際社会の認識が変わっているということだ。それでも興奮して怒るだけであり、より悠久な真理を考えないから心苦しい。「力は正義なり(Might is right)」という国際社会の変わりないルールだ。

日本首相の今回の米国訪問を眺める視点もそうだ。米国と日本が近づき、韓国だけが孤立したという嘆きがあふれる。我々の外交はその間、何をしていたのかという叱責が続き、もっとうまくやれという注文があふれる。すべて正しい言葉だが、何をどううまくやれということなのか挙げることはできない。外交当局もそうだが、指摘する人も妙案がない。


【コラム】日本が憎ければ網を結べ(2)

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