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【コラム】釈然としない韓国観光公社社長の中途退任

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.04.10 11:28
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韓国観光公社の卞秋錫(ピョン・チュソク)社長(58)が退いた。昨年4月4日就任したから正確に1年での退場だ。観光公社社長が就任1年以内に退任したのは1990年以降で2度目だ。あまりにも急なことで観光公社はもちろんのこと観光業界もざわついている。何よりも退任過程が釈然としない。

文化体育観光部は今月3日、「卞社長が昨年から健康などの理由で辞意を表明していた」とし、「今年、再び辞意を伝えてきて辞表を受理した」と発表した。一方、卞元社長は今月6日の退任式でも退任理由を明らかにしなかった。退任説が初めて流れた2週間前から卞元社長は口を開かなかった。

 
世論は文化体育観光部の発表が信じられない雰囲気だ。あらゆる推測が飛び交っている。文化体育観光部との葛藤説が最も有力だが、葛藤説も推測に過ぎない。2週間ぐらい前に文化体育観光部のある高位幹部は次の通り打ち明けた。

「1つだけ確認しましょう。葛藤説は絶対ありません。それだけ言います。」文化体育観光部の幹部の話で「それでは、何が残っているか。それはメディアが取材することだ」という真意が読み取れた。本当に何が残っているだろうか。

成果の問題も卞元社長の退任理由の中の1つとして議論されている。卞元社長の過去1年間を見回せば成果というのが難しいのが事実だ。しかし卞元社長にも言い分はある。

よりによって卞元社長は昨年4月4日に就任した。就任2週間足らずでセウォル号事件が起きた。観光市場が急速に凍りつき、卞元社長は5月下旬になってメディアに初めて顔を表わした。昨年下半期には経営イシューに振り回された。観光公社が仁川(インチョン)空港免税店から撤収しなければならない状況が起こった。観光公社としては致命的な悪材料であった。年末には社屋移転問題で業務に支障をきたした。この1年は卞元社長にとっても忙しい時間だった。

卞元社長は今年1月、(社)済州(チェジュ)オルレのソ・ミョンスク理事長と共にオルレギル(道)を歩いた。「観光公社社長がまだオルレギルを歩くことができなくて申し訳ない心だった」として卞元社長は業務報告日程まで調整して済州島に行った。済州道で卞元社長は残った任期2年について話した。

「やるべきことが多いです。これから何をどのようにすべきか分かっています。よろしくお願いします」

確信にみちていた卞元社長の2つの目を覚えている。健康問題で数回辞意を明らかにしたという病人の目つきではなかった。

来月1日、観光週間が始まる。観光週間は今回の政府の代表的な韓国内観光の活性化対策だ。同日、イタリア・ミラノではエキスポが開かれる。ミラノで政府は韓国館を設置して全世界に韓国料理を知らせる計画だ。文化体育観光部としては初めて主管するエキスポ行事であるため通常の国際行事より負担を感じている状態だ。来月には青瓦台(チョンワデ、大統領府)で第3次観光振興拡大会議も開く予定だ。観光産業は朴槿恵(パク・クネ)政府が明らかにした、いわゆる「新成長エンジン」だ。

しかし、韓国内観光産業は再び首長を失った。次の社長が就任するまで観光公社の社長の席は最小2カ月、長くて6カ月空くことになる。今から後任が気になる。また天下りだろうが、誰がこの席につくかにより卞元社長が退いた本当の理由も見えるようだ。卞元社長も一時は「開国の功臣」と呼ばれた人物だ。

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