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マンUファンだった少年がイスラム国の人質斬首者になった理由

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.28 11:30
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マンチェスター・ユナイテッド(マンU)が好きでコンピューターゲームを楽しんでいた平凡な少年だった。しかし大人になると、イスラム過激主義武装団体イスラム国(IS)の隊員となり、少なくとも西側の人質7人を斬首した。西側メディアは西側出身のイスラム戦士という意味で「ジハードのジョン」というニックネームを付けた。

ロンドン西部出身のモハメド・エムワジ容疑者(27)の人生流転だ。27日の海外報道によると、クウェートで生まれたエムワジは6歳の時、ロンドン西部に移住した。勤勉な父のおかげで中産層の生活を送った。学生時代は「勤勉」「謙虚」という評価を受けた。当時、ある教師は「エムワジは誠実で責任感があり、何をしても常に正しい道を求める子どもで、暴力は全く見られなかった」と振り返った。その後、ウェストミンスター大学に進学し、コンピューターを専攻した。大学を卒業する頃も彼は「おしゃれで礼儀正しい若者」として人々の記憶に残っていた。

 
エムワジの人生の変曲点は2009年夏のタンザニアでの「サファリ旅行」だった。エムワジはモハメド・イブン・ムアジャムとう仮名で友人2人とともにタンザニアへ行った。過去の首都ダルエスサラームに到着したが入国が許可されず、翌日、オランダのアムステルダム行き飛行機に乗らなければならなかった。エムワジは同年、クウェートへ行ってIT企業に就職し、翌年、ロンドンを2回訪問するが、2回目の訪問後はクウェートに戻らなかった。ビザを拒否されたからだ。

その頃、エジワジと近かったテロ関連収監者人権団体CAGEは「アムステルダム空港で英国情報機関(MI5)の要員がエムワジにアルシャバブがあるソマリアに行こうとしたという容疑をかぶせ、彼を情報員として雇用しようとした」と主張した。エムワジはその後、「ロンドンで収監者のように過ごしている。情報員により監視され、統制を受けている」と訴えたという。サファリ旅行をきっかけに当局の不当な監視と処遇がエムワジを過激化させたというニュアンスだ。CAGEのクレシ局長は「エムワジは警察に殴られ、首を絞められるなど不当な待遇を受けた」とし「彼は制度を利用して自分が直面した状況を変えることを望んだが、制度は結局、彼を拒否した」と話した。

当局の判断は違う。以前からすでに過激主義だったということだ。当初、路上の不良集団だったがソマリアの過激主義テロ団体アルシャバブのための秘密ネットワークに変貌した「北部ロンドンボイス」の一員だったという。英国情報機関が2007年に「関心対象」に分類した状態だった。組織員だったビラル・アルベルザイが2009年3月にケニアへ「サファリ旅行」に行った後、入国不許可で帰り、10月にソマリアに渡ってアルシャバブに合流したこともあった。

エムワジのタンザニア行きはその間のことだ。英ザ・タイムズ紙は「エムワジら多くの人がソマリア行きが失敗に終わると、秘密ネットワークはより簡単に行くことができるシリアに目を向けた」と伝えた。エムワジは2012年にシリアへ行った。

ウェストミンスター大時代に注目するメディアもある。英デイリーテレグラフは「2011年に過激主義性向の団体に属する学生がこの大学の学生会長になった」とし「当局は大学での過激化の可能性も調べるだろう」と報じた。

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    2015.02.28 11:30
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    エムワジ容疑者の小学生時代(左)と昨年のイスラム国の斬首映像に登場した姿。
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