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【時視各角】なぜ韓国には「親国民政治家」はいないのか(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.18 14:17
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「指を切ってしまいたい」。選挙が終われば有権者の間ではこのような嘆きが出てきたりする。「最善ではなくても“次悪”を選ぼう」というのが有権者の選挙目標になって久しい。ところが選挙が終われば混乱し始める。もしかすると最悪を選んだのではという疑問が生じながら「切られた指が漢江(ハンガン)を埋めた」という自嘲的なユーモアが出てくる。

今回の李完九(イ・ワング)首相承認の過程を見ながら、有権者として私の指が犯した蛮行について多くのことを考えた。兵役忌避・不動産投機疑惑や危険な言論観のような言葉は耳が痛くなるほど聞いたのでやめよう。三清教育隊参加で勲章も受け、その後にも輝かしく党籍を変え、いつも勝者の側に立った利にさとい点も取り敢えず彼の実力だとしよう。孔子が人を分ける基準で見ると、これは典型的な小人輩の実力であるため、我々が夢見る「君子の政治」は水の泡になったという虚しさが問題といえば問題だろう。

 
しかしもっと大きな問題がある。彼を選んだのは私たち有権者だった。そのような人を「最も尊敬し、似たい」という国会議員も私たちが選んだ。さらに大きな問題は、私たちが選んで税金を出して食べさせる国会議員が、与野党に関係なくすべて親朴・非朴、親盧・非盧に分かれ、派閥政治にばかり没頭しているという事実だ。「親国民」国会議員、国民に何が最善かを本当に悩む国会議員は見た記憶がない。

派閥政治は私たちに「醜い現実」を投げかけた。セヌリ党は首相承認表決に先立って票の取り締まりをした。非朴執行部が首相の承認に失敗すれば政治的な負担を負いかねないと考えてそうしたという解釈が出ている。今回の首相承認を見ると、これに先立ち安大熙(アン・デヒ)、文昌克(ムン・チャングク)首相候補がなぜ辞退したのか理解できない。首相の基準を大きく低め、今後、首相は誰でもできそうな感じだ。


【時視各角】なぜ韓国には「親国民政治家」はいないのか(2)

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