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【コラム】なぜ今、市民教育が切実なのか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.05 15:13
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韓国が西欧から導入した間接民主主義制度は、西欧が近代化の過程でつくりだした歴史的な進化物だ。英国の清教徒革命やフランス革命を追求した市民意識が、参政権運動を経て資本と労働を両軸にした大衆政党制度を考案した。伝統社会から近代社会に移っていく過程で、蓄積された省察的な市民意識がつくり出した輝かしい成果だ。だからこそ制度としての西欧民主主義は表皮に過ぎず、これを運営するためにはその中身にあたる省察的市民が前提となっていなければならない。

しかし韓国は、デザインとしての西欧民主主義を輸入しただけで、これを運営するために必要な社会的エネルギーの確保にはあまり留意しなかった。すでに省察的市民が成長した西欧としては、これについて特別な努力を傾注しなければならない理由はなかった。表皮を模倣することでさえ手にあまっていた韓国は、西欧が尽力していない民主市民の養成に注目するほど聡明でもなかったし社会的な余裕もなかった。免許もなく輸入車の運転を始めたわけだ。

 
安保の脅威と経済的貧困は、不順な道路事情と同じだった。産業社会と情報社会に移っていく過程で発生した社会的断絶と構造的対立は、途切れた橋梁や溝のように、私たちを険しい道へと追いやった。急速な経済発展のために猛スピードを出す中で人身事故も少なくなかった。個人の自由や人権が制限されるのは常だった。経済発展で再び包装率が高まると、今度はあふれかえる自動車の洪水で交通渋滞や大小の接触事故が頻発した。政経癒着と権言(権力と言論)癒着が日常のように占めて放置された社会葛藤コストが国家の1年分の予算に匹敵するほどになった。

わい曲した政治過程と腐敗した徒党秩序が、外科手術後の不正癒合のように固まってしまった。不正癒合とは折れた骨が元の位置にくっつかずに固まった状態をいう。これを再び伸ばすのに伴うリスクと苦痛のような機会コストの追加支出のために、うまくそのままそれに合わせて何とか生きているのが普通だ。非正常の日常化ということだ。セウォル号事件後、私たち誰もが国家大改造を叫ばなければならなかった理由だ。深刻なのは、たとえ大改造に出るにしてもこれまで世界の標準のように考えてきた西欧民主主義制度自体が、もうこれ以上は基準モデルになれないというところにある。

産業化過程の社会需要に応じて考案された西欧式の間接民主主義制度は、情報社会後の社会構造とはこれ以上合致しない。これに加えてグローバル化時代の到来は、根本から別の国政運営体系を要求する。近代の国家権力が一国主義の境界内の支配権を前提に運営されているものだったとすれば、今は国家間の境界を越えて活動する社会経済関係を調整できる上部構造が必要になった。近代国家を超克する創造的な代案の開発が求められる。これを感知した西欧社会はすでに国政運営体系の再デザインに入った。ただし、いまだ完成された代案パラダイムを持てなかったために、働いていない従来の制度の一部を崩したり補修したりする作業が続いている。


【コラム】なぜ今、市民教育が切実なのか=韓国(2)

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