【コラム】私はシャルリーではなくケンジだ(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.03 08:07
日本のフリーランサージャーナリストの後藤健二氏(47)が結局、命を失った。彼に罪があるのなら、危険の中で紛争地域の惨状を読者と視聴者に伝えようとした罪しかない。安全なところで楽な椅子に座って筆を動かしている私は、彼の死の前でみすぼらしく恥ずかしい。罪のない者を人質として拘束し、命まで奪う極端なテロリストの蛮行に怒りを禁じえない。最後の瞬間まで彼はジャーナリストとして、ヒューマニストとして最善を尽くした。「私はケンジ」。彼の冥福を祈る。
先月パリで発生した風刺専門週刊紙シャルリー・エブドへのテロ事件に対抗し、多くの人々が「私はシャルリー(Je suis Charlie)」を叫んだ。漫評が気に入らないとして報道機関を攻撃し、記者と警察の命を奪ったのは、民主主義の根幹である言論と表現の自由に対する正面からの挑戦だ。寛容(トレランス)というフランス的な価値の重大な毀損として受け止めたフランス人も多かったはずだ。フランス史上最多となる350万人が街に出て、パリだけで150万人が集まった。1998年ワールドカップ(W杯)大会でフランスが優勝した時も、これほどの規模ではなかった。