주요 기사 바로가기

開発控えた龍山基地内の文化遺産保存、対策はなく=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.28 15:08
0
1/3
龍山(ヨンサン)米軍基地内には時代の痛みを含めた近現代の「ネガティブ文化遺産」が多数保存されている。1946年にソウルで開かれた米ソ共同委員会のソ連代表団が宿舎として使った建物。日帝が将校宿舎として建てたものだった。(写真=龍山区庁)
1946年1月16日、徳寿宮(トクスグン)石造殿。米国とソ連の代表団がテーブルをはさんで座った。米ソ共同委員会予備会談が開かれたのだ。ソ連は、モスクワ三相会議に反対する社会団体は臨時政府に参加させられないと主張し、米国はこれに反対した。韓半島(朝鮮半島)の信託統治案が激烈な反対運動の中で失敗に終わりながら南北はそれぞれ単独政府を樹立した。当時、ソ連代表団が泊まった建物は龍山(ヨンサン)米軍基地に保存されており駐韓米合同軍事業務団が使用中だ。

龍山米軍基地の近現代の文化遺産が再び注目を浴びている。政府が最近、龍山基地一帯への投資活性化対策を発表しながらだ。龍山基地の平沢(ピョンテク)移転に伴う公園化計画と共に、開発計画が具体化されながら基地内の文化財についての保存・撤去対策を立てなければならないという指摘が出ている。

 
龍山基地は大陸侵略という日帝の野心から生まれた。1910年頃に造成され始めて100年余り、軍事基地として使われている。こうした理由で基地内に保存された文化財の大部分は時代の痛みを含んだ「ネガティブ(negative)遺産」だ。

米ソ共同委員会ソ連代表団の宿舎と6・25韓国戦争の米軍戦死者追悼碑などが代表的だ。韓国戦争の勃発前まで陸軍本部として使われていたバンカー(軍事用地下施設)もそのまま残っている。2013年の文化財庁調査では日帝がつくった兵営100棟余りがそのまま保存されている事実も確認された。龍山基地が「文化財貯蔵庫」と呼ばれる理由だ。

近現代の文化財がそのまま残っている場所には韓国現代史の痛みがしみ込んでいる。韓国戦争直後にソウルに駐留した米軍は、日本が使っていた軍事基地をそのまま受け継いだ。ソウル駅と龍山駅が近くて大規模な兵力輸送が可能だったためだ。以後1967年に在韓米軍地位協定(SOFA)発効により一般人の出入りができない治外法権地域として分類された。その結果、60~70年代の不動産開発熱風からはずれることができた。

政府は龍山公園企画団をスタートさせて公園造成に先立ち基本設計を進行中だが、文化財処理問題については筋道をとらえられずにいる。国土交通部傘下の龍山公園企画団側は「文化財存続の有無を決めるためには、建物内部の構造など具体的な調査を進めなければならないが、軍事施設として制限があり現在は不可能な状況」と説明した。軍事保護施設として制限されているため平沢移転が完了するまでは写真撮影などの実態調査を行うことができない。

龍山公園企画団は、平沢に移転する前に実態調査を進められるよう米軍などに要請する予定だ。龍山基地を管轄している自治区の悩みも大きい。龍山区庁は昨年7月、基地内の文化財を調査した『龍山の歴史を探して』というパンフレットを発刊するなど近現代文化財をそのまま保存すべきとの立場だ。ソン・チャンヒョン龍山区庁長は「龍山公園の着工に先立ち、住民らと協議して文化財保存対策などを議論しなければならない」として「基地に残っている時代的な痛みをどのように保存するのか検討しなければならない時」と話した。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP