【噴水台】「孤独なオオカミ」は結局、私たちが生み出した=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.23 13:42
2009年4月、江原道旌善郡北平面(カンウォンド・チョンソングン・プクピョンミョン)。ひっそりとした民宿に男女2組が訪ねてきた。20代、せいぜい30代に見えた。彼らの部屋は夕方もずっと静かだったし食事をしているような匂いはしてこなかった。翌日もそうだった。主人がドアを叩いたが返事がなかった。ドアは内側からテープが密封状態にはられていた。煉炭は灰だけが残り、男女は静かに横たわっていた。その日をはじめ15日に横城甲川面(フェンソン・カプチョンミョン)、17日麟蹄郡北面(インジェグン・プクミョン)、22日洪川郡西面(ホンチョングン・ソミョン)、23日楊口郡雄津里(ヤンググン・ウンジンリ)で集団自殺が続いた。彼らは情報を共有して事前に準備した後、連帯して動いた。
自殺者連帯はポータルサイトの自殺カフェから始まった。21歳の青年が作ったカフェは「考える」だけだった「孤独な人」を「行動」に移らせた。私は開設者に運良く会うことができた。高1の時に退学して4年間自宅から出なかった。インターネットが唯一の対外窓口だった。ゲームをしてビデオを見てカフェを作った。21人が自殺を試みて12人が亡くなったが、彼がやったことは実はそれだけだった。1メートル82センチ、50キロ台の青年。極度に弱気な子供が犯した悲劇に、私たちは無力だった。