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アトマウスと付き合って20年…今こそ「さようなら」=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.11.21 15:37
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「アトマウス」の作家、李東起(イ・ドンギ、47)は、自由に飛び回りながら消える世の中のイメージをキャンパスに移す。垂れ幕の中の絵は私たちのドラマの常套的なイメージを表現した『浴槽の中の女性』(2014)。
「別れたいのに別れられない友人」。

しばらく迷ってから作家が口を開いた。「李東起(イ・ドンギ)にとってアトマウス(ATOMAUS)とは?」と水を向けたところだった。いや友人とみるよりも、むしろ息子だろう。生まれてうれしかったし、おかげで自分もやはり完成したが、思いどおりにならず、自分を拘束する存在だということだ。アトマウスは1994年、グループ展「リモートコントロール」で世の中に出た。今年で20歳。「もう独立させたいが…」と47歳の「アートマウスパパ」が話した。

 
雑誌『少年中央』を買っていたソウル郊外の少年は、絵をよく描いた。休み時間になれば友人が集まってきて彼が描いたキャラクター・宇宙船・自動車などをうれしそうにもらっていった。1986年、弘益(ホンイク)大学西洋画科に進学した。民衆美術でなければモダニズムと二分法だけがあった。その渦中で漫画イメージ、大衆文化的イメージに関心が高かった。時事漫画「コバウおじさん」「赤ちゃん恐竜ドリー」の一場面、ホ・ヨンマン作家のイ・カント(漫画『カクシタル』)をキャンパスに描いた。93年初の個人展ではキャンパスに新聞のテレビ番組表を描いて展示した。その年の冬、頭の中にアトムとミッキーマウスを結合した顔が浮び上がった。真四角のキャンパスに白黒でその顔を描いた。「その作業が一種の概念美術だと考えた。2種類の記号を結合して新しい記号を一つ作り出す、とても論理的な過程だと感じて記号を描くように白黒で描いた」。

展示場に出すとすぐに人々の賛否・好き嫌いが交錯した。今でこそB級漫画を写してきたような絵画が展示場にかかっていてもおかしくないが、当時の人々は彼に「漫画家か、イラストレーターか」と正体をたずねた。2000年「メディアシティ・ソウル」の地下鉄プロジェクトで乙支路(ウルチロ)3街駅の乗り換え通路に壁画を描いた。2年後、誰かが黒いスプレーペイントを上塗りして「また描きます!」と書くテロを加えた。その間、地下鉄公社は「気分が悪い絵だから変えてほしい」という嘆願に苦しめられたという。

そのアトマウスが今は飲料商品の活命水・化粧品HERAの限定版など活発なコラボレーションの主人公になった。今や多くの人々が愛し、手にしたいイメージになった。画家にとっては飛躍の契機だが、足かせとなるイメージでもあった。

「多くの人々に私を知らせた媒介体であると同時に、私を束縛したのがアトマウスだ。したい作業が色々あったが、意図に反してアトマウスをたくさん描くことになった」

ソウル三清路(サムチョンノ)のギャラリー現代新館で開くイ・ドンギ個人展「無重力」には、アトマウスが1点だけ出てくる。しばしば期待するような麺を食べたりしているキュートなイメージではない、タバコの煙をふっと吹き出すバージョンだ。アトマウスも、もう大人だ。そのほかテレビドラマの常套的な場面をスマートに描いた「ドラマ」シリーズ、「抽象」シリーズ、今日のイメージのアノミーを見せる「折衷主義」シリーズなどが出てくる。「韓国的ポップアートの嚆矢」李東起が、アトマウスを拒否されて愛されてきたこの20年間、地道に描き続けることに没頭してきた痕跡だ。

しかし、いかに新譜が出てきてもヒット曲がなければさびしいように、そばのギャラリーはアトマウスの「バブル」シリーズだけで埋め尽くされている。人気作に期待し自分の複製を繰り返しながら横着な画家が多い中で、李東起はアトマウスとうまく別れて新たな突破口を見出すことができるだろうか。そんな彼にとって描くことは「まだよく分からないこと、今もずっと探求していること」だ。展示は12月28日まで。無料。02-2287-3500。

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