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【噴水台】韓国社会が被害者を覚えておかなければならない理由

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.25 16:52
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軍の苛酷な行為で死亡したユン一等兵事件の時、誰かが言った。「自分は間違ってないのに他人のミスで罰を受ける軍隊の団体罰。それが拷問やいじめの出発点だ」。

学生時代の体育の時間を思い出す。毎度繰り返される両手を広げて走る体操が拷問だった。1人でも最後の動作に間違った掛け声を言えば、罰として動作の数が増えた。体育先生は悪名高く、自分の担当を仕損じる子供もいた。罰が続いて息も絶え絶えになれば、先生よりも子供のほうを嫌いになったことを思い出す。

身体虚弱者、うつ病患者などの軍不適応者を称する「関心兵士」の問題も似ている。「遂行しなければならない任務と雑事が山積している最前線の兵営は、落伍者を配慮するほどの余剰資源がない。疲れ果てた集団は、組織に適応できない個人を排除したり処罰する。(むしろ)つらい兵営で自らすることもできない中で同じように恩恵を享受すれば『タダ飯を食べるのではないか』と主張する。『苦労しないで食べる』個人に対して共同体は処罰に出る。20代に一般化された下位文化としてのいじめだ」(ディペンス21プラスのキム・ジョンデ編集長)。

言ってみれば、全体に損害を負わせたり、寄与せずに無賃乗車をしたりする個人を、全体の名で処罰しようとするということだ。この時、いじめや暴行を受けた者たちは自ら被害を招いた「被害誘発者」となる。被害者も一定部分、加害に責任があるという「被害者責任論」だ。こうした「被害者責任論」は性暴行事件でも十分見てきたものだ。女性の露出や派手でけばけばしい衣装が男性を刺激して犯罪を誘発するという論理だ。さらに被害女性に被害事実の立証を要求する2次被害も常に発生する。今年の夏はそのまま過ぎ去ると思っていたが、この前ある特集番組に出てきた男性討論者は「女性たちの夏の露出が激しくなって、性犯罪が増える」と声を高めた。彼の言葉通りならば、全身をベールでぐるぐる巻いたイスラム圏の女性たちにの間では性犯罪がゼロでなければならないだろう。

軍の暴力でも性暴行でも、被害が生まれないのが最善だが、いったん発生したら、どのように収拾するかがが重要だろう。被害(者)をどう見て対処するのかは、その社会の実体を表わす主な契機だ。最近、クーデター直後のバンコクに行ってきた社会学者のオム・キホ氏は「(クーデターの渦中に)消えた人々こそ、その社会の真実を物語っている。消えてしまうものを執拗に覚えておいて、社会の真実を表わさなければならない」と書いた。消えた人々を被害者に変えて見ることができるだろう。今、光化門(クァンファムン)広場でくやしい涙を止められずにいるセウォル号被害者を含めての話だ。

ヤン・ソンヒ文化スポーツ部門部長待遇

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