【中央時評】「割れた窓」をこれ以上放置してはいけない=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.25 16:31
この前、米国ワシントンDCのある会議で出会った米国人教授が興味深いジョークを話してくれた。「韓国の人々は外国に行かなくても、さまざまな国で生きたような気がする」ということだった。韓国社会の深刻な変化を遠回しに言った話だった。
彼のジョークのとおり、実際に年配の方々の中にはさまざまな国で生きたような感じを消しがたい人も少なくないだろう。まず若いころを見てみよう。植民統治に苦しめられた後、解放と共に迎えたのは同族間の争いの国だった。中年になってからは勤勉・誠実を要求する開発権威主義の国に住まなければならなかったが、その後に迎えたのは開発時代には贅沢に感じられた福祉・レジャーの国だった。そして老年の今日、今生きている所が本当に大韓民国なのかと思う感じがするほどの多文化社会に生きている。
ところで私たちは今、セウォル号事件によってまた別の国での人生を準備している。米国教授の指摘どおり、セウォル号事件が韓国社会に重大な分岐点を提供しているためだ。それは決して1つの船舶会社や海洋警察だけの問題ではない。今まで韓国の政治社会を支えてきた従来の秩序がこれ以上作動できないということを物語る事件だ。