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【コラム】韓国社会、自然ではない死について黙想しよう(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.25 13:31
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この頃、街中で遠慮すべき挨拶の言葉が「好喪(ホサン、長生きして幸せだった人の葬儀)」ではないかと思う。長く生きて幸せに過ごす基準が大いに変わったということだ。100歳の長寿時代にいったい何歳でどのように死んでこそ好喪の範疇に入るのか、困惑することこの上ない。

好葬の反対側には「惨喪(チャムサン)」がある。若くして亡くなった人の葬儀の名だ。これもまた基準を決めるのがあいまいだ。長く生きることになっても惨状は増える。自殺率が日に日に高まるのは言うに及ばず、事故死や変死も絶えない。戦争をするのでもなく、内乱が起きたのでもないのに、なぜ人々が次々に死んで倒れるのかと気が遠くなってしまう時がある。

 
数日前に他界した韓国の文化企画者第1世代のカン・ジュンヒョク先生(1947~2014)の死もまたそうであった。私心なく韓国文化の隅々をいたわりながら立て直した彼は、67歳という働き盛りの年齢で突然目を閉じた。故人は自身の死を見通したかのように、韓国社会を覆っている惨状の問題を扱った原稿1本を遺した。一言、一節がみな切々としていて生き残った者たちに与えた遺言ではないかと思う。

「自然ではない死は、私たちを深く思わせたり、また反省させたりもする。このような多くの死が投げかけるメッセージを、私たちはつくづくと見つめる必要がある。そしてそのメッセージを正しく解釈しようと努力しなければならない」。

この文はカン・ジュンヒョク先生が今年2月に亡くなった韓国芸術総合学校建築科のイ・ジョンホ教授を哀悼するために書いた寄稿文だった。研究費の横領容疑で検察に出入りして「私の名誉を回復してほしい」という一言を残し済州(チェジュ)の海に身を投じたイ教授の死を、先生は社会的な他殺として惜しんだ。大型研究プロジェクトの遂行機関に転落した大学の現況を物語る事件だった。会計ミスをかぶったイ教授を犯罪人扱いした、無実の罪だった。

2人は先生が10年にわたって空間サラン劇場長の仕事を終えてからソウルの大学路(テハンノ)に「スタジオ・メタ」という文化研究所を出す時に意気投合した先輩・後輩の間柄だった。葬儀場に集まった後輩の学者たちはカン・ジュンヒョク先生の急死が故イ教授の死と相対していると推測した。


【コラム】韓国社会、自然ではない死について黙想しよう(2)

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