【時視各角】シンクホールを発見、「天幸」だ=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.20 15:57
天幸。李舜臣(イ・スンシン)将軍の『乱中日記』の中で、丁酉年の鳴梁海戦当時の記録で唯一目についた単語だ。将軍は、難しい峠を越えればこれを天幸といった。日記の9月4日付には「北風が吹いた。船をかろうじて保全した。天幸だ」と書いていた。戦闘当日の9月16日には敵をはね除けたことを「天幸」だといった。ところが8月から記録されていた日記で良いことはこの2つだけ。将軍は腹痛・下痢・嘔吐に苦しみ、ある民が牛を盗んだ後に「外敵が攻め込んだ」と流言を出して民心を惑わし、大将は逃げ、激しい北風が吹いて天幸で守った船を飲み込んで…。試練と苦難の毎日だった。それでも「天も見放されぬよう」といった望みは一言もない。ただ天幸に感謝して馬鹿正直に敵を防いだだけだ。
不運の中にも天幸を見出した将軍ならば、「天幸だな」と思ったであろう場面がある。石村(ソクチョン)洞の地下車道の下から長さ80メートル、深さ4.2メートル、幅5~8メートルに達する空洞を発見したことだ。これは地下車道の入口に現れたシンクホールのために行った調査で発見された。ややもすると再び地面がへこむ惨事が起きるところだった。そのような空洞を人に被害が及ぶ前に見つけられたので「天幸」だというのだ。