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【コラム】日清戦争と日露戦争、そして2014仁川(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.08.19 13:50
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今年は日清戦争120周年、日露戦争110周年になる年だ。韓国の私たちが直接戦争の当事者だったという認識があまりなかったためか、国内ではこの戦争を記憶しようとする努力がそれほどない。しかし今年100周年を迎える第1次世界大戦と共にこの戦争は、当時の韓半島(朝鮮半島)の運命に大きな影響を及ぼした。このため戦争の原因と韓半島および東アジア秩序にどんな影響を及ぼしたかを再確認する必要がある。

知られるように日清戦争は1894年に発生した東学農民革命(甲午農民戦争)に対する朝鮮政府の安易で無責任な対応から始まった。三南(サムナム)地方で起こった農民蜂起を自力で収拾する能力と意志がなかった高宗(コジョン)は結局、清国に支援を要請した。派遣された清国の兵力が忠清南道成歓(チュンチョンナムド・ソンファン)などに至り、韓半島を自分たちの主権に直接影響を与える「利益戦」と見なした日本の明治政府は、「朝鮮の内政改革」を名分に軍隊を出した。双方は西海(ソヘ、黄海)上の豊島(プンド)と牙山(アサン)地域で交戦を繰り広げた。農民蜂起を鎮圧するために外勢の力を借りようとした朝鮮政府の安易な対応が結局、朝鮮に対する利権侵奪を夢見た別の外勢に介入する口実を提供したことになる。10年後の1904年に勃発した日露戦争も結局、韓半島をめぐるロシアや日本などの戦略的な角逐が根本的な原因だった。

しかしこれら列強の動向をあらかじめ看破できないままに「均勢の外交」を展開できなかった朝鮮の為政者の責任も小さくない。これらの戦争の結果、朝鮮は植民地のどん底に陥ることになった。また当時、中国と日本の間には根深い敵対心が形成されたという点も、現在の韓国の安保政策や東アジア外交を構想するにあたって留意すべき事項だ。

興味深いのは、日清戦争や日露戦争など韓半島をめぐる列強の角逐が広がるたびに主な舞台になった場所が首都ソウルに通じる要衝地・仁川(インチョン)であったという点だ。1894年6月に清国出兵に対応するための日本の混成旅団が仁川に上陸して首都漢城(ハンソン)を掌握しながら日清戦争が勃発した。1904年2月には仁川港に停泊中だったロシア艦船Varyagを日本艦隊が先制攻撃しながら日露戦争の幕が上がった。6・25韓国戦争(朝鮮戦争)の際に米国をはじめとする国連軍が戦いの勢いをひっくり返す決定的な機会をつかんだのが仁川上陸作戦だった。歴史的な経験を見るとき、仁川の戦略的重要性は偶然として片付けるのは難しいだろう。(中央SUNDAY第388号)
【コラム】日清戦争と日露戦争、そして2014仁川(2)


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