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<法王訪韓>「我が過ち」 大韓民国の告解(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.14 10:25
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25年(ヨハネ・パウロ2世の訪韓以来)ぶりの告解だ。フランシスコ法王が今日午前10時30分、韓国の地を踏む。廉洙政(ヨム・スジョン)枢機卿は13日、法王訪韓祝福式の講論で、「我が国の天主教信者だけでなくアジア全体にとって大きな喜びであり祝福だ。想像できないことが起きた」と述べた。

大韓民国は浮ついている。告解は自身を吐き出すことだ。自分の中の傷と痛み、あらゆる戦いの破片を表に出す。現在の大韓民国の姿だ。

セウォル号惨事の時、我々はみんな泣いた。まだ涙があふれ出る。光化門広場の遺族の座り込みは列福式の間も続く。「生きられる日はあまり残っていない」という慰安婦被害者の胸は今も血を流している。半世紀が過ぎたが、南北分断の傷は癒えない。保守と進歩に分かれた両陣営は絶えず傷に触れて戦いを再生産する。密陽送電塔、済州江亭村、双龍車の解雇者など、解決法をめぐる葛藤の谷は続く。

最近、ユン一等兵殴打死亡事件で軍隊文化の野蛮性が表面化した。一つになるより二つになり、隣人より敵になることを願うのが、我々の素顔なのか。大韓民国が浮ついている理由だ。

人々はいう。大韓民国の社会はがけっぷちに立っていると。お互い胸ぐらをつかんで激しく争っていると。与党と野党、保守と進歩がそうであり、低い者と高い者がそうだ。共存の和解はほとんど見られない。一方が消えない限り、争いは永遠に続くという形だ。その渦中に大韓民国が病む。血が回らず、気が流れない。社会の動脈硬化を解消するリーダーシップは容易には見えない。羅針盤が必要であり、里程標が必要であり、灯台が必要だ。

訴えたいところに、寄りかかりたいところに、フランシスコ法王がくる。先を競って手を差し出す。私の病気を治してください、私の傷を癒してください。私の問題を解決してください。哀願し、しがみつく。しかしフランシスコ法王は「万能鍵」でもなく「万病薬」でもない。大韓民国の慢性病を手術台にのせるのは法王の役割ではない。法王はその上に流れるメッセージを送るだけだ。法王に我々の宿題を代わりにしてほしいと頼むことはできない。
<法王訪韓>「我が過ち」 大韓民国の告解(2)


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