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ドイツ統一の礎を築いたヨハネ・パウロ2世も解けなかった“韓半島の分断”

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.04 17:56
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フランシスコ法王の分断国への関心は1987年にさかのぼる。彼は博士学位取得のために同僚司祭がよく目指すローマコースではなく、ドイツ行きを選んだ。ドイツ留学時期は、彼の人生における「重要な悟りの瞬間」(英国カトリックヘラルド)に挙げられている。ドイツ南部アウクスブルクの聖堂で「結び目をほどく聖母マリア」聖画を見たのがきっかけだった。絡ばれた白いひものからまりをほどいていく聖母マリアのように、対立と紛争を解決しようと誓ったのだ。アルゼンチンの帰国の途にこの聖画の複製品を持って帰った彼は、法王になった後もバチカン執務室にこの絵をかけておいた。「世界で最も影響力が大きな指導者」(フォーブス)と呼ばれる今、彼が韓半島(朝鮮半島)行きを選んだのも唯一の分断地帯である韓半島のからまりをほどこうと思っている彼の意志が反映されたものと分析される。

分断地帯は歴代法王にとっても大きな関心事であった。90年の統一前後にはドイツに法王の足が続いた。ヨハネ・パウロ2世(1978~2005年在位)は80年、87年と96年の3回にわたりドイツを訪問して和合のメッセージを投げかけた。87年にドイツ訪問を終えた後、ケルン空港で行った演説でドイツ分断を「歴史の悲劇」と称して統一を願った。ヨハネ・パウロ2世はドイツだけでなく冷戦による対立の解決にも先頭に立ってドイツ統一の流れを作る呼び水の役割を果たした。89年、当時のソ連のゴルバチョフ書記長に会って彼の改革・開放推進政策に力を与えたのが代表的だ。その翌年の90年にベルリンの壁は崩れた。米国時事週刊誌タイムは99年「20世紀を導いた指導者20人」を選ぶ中でドイツ統一の礎を築いた功労でヨハネ・パウロ2世を挙げた。

 
韓半島の分断は、ヨハネ・パウロ2世にはほどけなかった結び目だ。故キム・スファン枢機卿は、ヨハネ・パウロ2世の他界直後の追悼ミサで「あなたはナチスドイツ治下で苦痛を受けられ、分断された韓国の痛みをご自分の苦痛のように感じられた」と回顧した。こうしたヨハネ・パウロ2世の聖人推戴の列聖式を今年執典したフランシスコ法王にとって韓半島の意味は大きくならざるをえない。ヨハネ・パウロ2世のほかにも韓半島の分断状況に関心を持っていた法王がいた。法王ピウス12世(1939~58年在位)は、韓国戦争(朝鮮戦争)が勃発すると「韓半島の戦争終息のための祈祷と支援を惜しまずに」と何度か依頼した。ピウス12世本人も戦後の復興事業のために韓国政府に1万ドルを支援した。

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