<韓国再・補欠選挙>30戦20敗…政府与党に苛酷だった公式崩れた(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.31 11:45
再・補欠選挙敗北の後遺症は、現在の与党も同じだった。李明博(イ・ミョンバク)政権(2008~2012年)時代に計4回の国会議員再・補欠選挙が行われて21人の議員を新しく選んだ。当時ハンナラ党が8地区で勝ち、第1野党の民主党が8地区、民主労働党・進歩新党が各1地区、無所属3地区だった。李明博政権の立場では2009年が残酷な年であった。4月29日に5地区で行われた再・補欠選挙でハンナラ党は全敗した。
10・28再・補欠選挙も似たような様相だった。ハンナラ党は江原道江陵(カンウォンド・カンヌン)と、慶尚南道梁山(キョンサンナムド・ヤンサン)では勝ったが、首都圏〔水原市長安(スウォン・チャンアン)、安山市常緑(アンサンシ・サンロク)乙〕と、中部〔忠清北道曽坪(チュンサンブクド・チュンピョン)-鎮川(ジンチョン)-槐山(クェサン)-陰城(ウムソン)〕を明け渡した。民主党は忠清北道での勝利を踏み台にして李元大統領の世宗(セジョン)市修正案に対する攻勢を高めたし、与党内でも当時の朴槿恵(パク・クネ)議員が「国民との約束を疎かにすれば2014年で無視されることになるだろう」と批判するなど反対の声を育てた。