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【コラム】「やればできる」時代の終焉=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.23 16:35
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数日前に面白い新聞記事を見た。着実に努力すれば誰でも頂上に上がれるという「1万時間の法則」が、実は間違っていた話だというものだ。1万時間努力するには一日3時間、一週間20時間ずつで計10年がかかる。しかし米国研究チームが努力と先天的な才能の関係を研究した結果、多くの分野において持って生まれた才能が努力よりもはるかに重要な要因だと明らかになったと記事は伝えている。音楽では才能79%・努力21%で、スポーツは才能82%・努力18%だった。学術分野はさらに深刻で96%と4%の比率だった。勉強する頭は持って生まれたものだという話が合っているようだ。昨日、トップピアニストのソン・ヨルム氏に会ったついでに「音楽では才能が79%、努力21%だというのが、その通りか」と尋ねた。「そのようだ」として「才能をあらわす機会がはるかに少なかった昔は、多分90%程度と比重がさらに高かっただろう」と答えた。

「天才は1%の霊感(ひらめき)と、99%の努力で成り立つ」というエジソンの名言も実際は「99%の努力も、たった1%の霊感なしには効果がない」ということだという。持って生まれた才能がそのように決定的ならば、私たちのような凡人の立場としては気が抜けるばかりだ。努力すればどうなるというのか。すでに生まれる時から遺伝子に成功の可否が刻まれているのだ。今月初め、東京の国際図書展に行って買ってきた新刊1冊が、このような人間の不平等起源論(?)を後押しした。題名は『努力不要論』。医学博士であり脳科学者である中野信子氏が書いた本で、題名そのまま「無駄に努力する必要はない」という内容だ。自分の主題を把握できず、むやみに努力からしてみる「努力中毒者」は他人に利用されたり被害を及ぼしたりするのが常だと主張する。日本人は特に「努力信仰」を持つ「努力教」信者が多くて大変だと心配している。第2次世界大戦に飛び込んで敗れたのも対策なしに努力と精神力だけを強調した指導者のためだと一蹴する。

 
植民地と戦争の廃虚を踏みしめ60年以上にわたり突き進んできた韓国も、努力崇拝主義ならば地球上のどこの国にも劣らない。小学校の時から机の前に「努力の末に成功」「努力は成功の母」を張っていたし、少し成長して漢字でも習えば「苦尽甘来」と句を変えた。努力信仰の仲良しは結果、至上主義であった。冬の季節、国連軍の墓地に麦を植えて青い芝のように見えるようにしたという企業家の臨機応変が誇らしい伝説として記録された。「やればできる」の時代であった。「できなければできるようにしろ」が特殊戦司令部兵営を超えて社会の隅々にまで鳴り響いた。


【コラム】「やればできる」時代の終焉=韓国(2)

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