【時視各角】韓国は今度も「忘却の国」になるのだろうか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.09 14:08
セウォル号惨事から24日目。あちこちに怒りの空気が広がっている。怒りは、古くて腐った存在をえぐり取るための出発点だ。だが怒りだけで世の中は変わらない。過去の多くの災難を振り返って考えてみよう。政界やメディアは怒りに満ちた言葉や文章を吐き出して、2、3カ月過ぎると議論さえしなくなる。怒りは長く、反省は短い。特に白書文化は、集団の怒りが集団の忘却へと早変わりする韓国社会の1つの断面を見せている。
1994年に発刊された西海(ソヘ)フェリー号の沈没事故白書を見る。表紙の副題からして怪しい。「私たちはその惨事、こうやって克服した」。白書であれば「事故原因と対応」程度でいいのではないか。分量も付録を除けば150ページ程度と薄い。目次は副題よりもさらに大げさだ。第2章「渾身の救助活動」、第4章「1つにまとまった島民の意志」、第5章「日が昇る私たちの蝟島(ウィド)」…。