【コラム】韓国社会が育てた怪物
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.25 15:51
「13人の児孩(アヘ、子供)が道路を疾走します(道は行き止まりの路地でも良い)」。蓬頭乱髪の天才詩人・李箱が1934年に発表した連作時「烏瞰図」の初編の第1節だ。ユ・ビョンオン前セモ会長が、児孩(アヘ、Ahae)を芸名にして写真作家活動をしていたことが明らかになった。73歳のユ氏が「子供」の昔の言い方である「児孩」を借用した理由は知るすべはない。察するところ李箱と自身を同一視したのではないかと思う。李箱の表現どおり、ユ氏も自身を「剥製になってしまった天才」と感じていたのではないかということだ。だが、セモの名前が聖書の中に出てくる預言者モーゼから取ってきたように、アヘはヤハウェ(Yahweh・神)を意味するという解釈もキリスト教学者を中心に出てくる。ユ氏が一部の天才気質を発揮したのは事実のようだ。紙石けん発明家、有機農専門家、写真作家、牧師など1人で何役もこなした。ダパンダ、モレアルデザインなど記憶しやすい会社の名前をつけるのにも才能を見せた。
ベールに包まれていたアヘの正体が明らかになったのは、セウォル号沈没事故が契機だった。彼がセウォル号を運営する清海鎮(チョンヘジン)海運の実際のオーナーだと明らかになりながらだ。検察捜査が進むほどこうした疑問が浮き彫りになってくる。大韓民国に果たして「正義」は生きているのか。
彼は何者か。1987年に32人が亡くなった「五大洋集団自殺事件」の背後として検察の取り調べを受けた。証拠がなく無嫌疑処分が下されたが、疑問は残った。97年にセモが不渡りになった後、10年余りで完ぺきに会社を再建した過程は、背筋が寒くなるようなものだ。