【世界の中の韓国】アンザック・デーと「セウォル号」沈没の日
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.24 16:09
第1次世界大戦の歴史で英国が扱おうとしない素材がガリポリの戦いだ。連合軍が経験した最悪の敗戦だからだ。ガリポリ(トルコ語でゲリボル)半島は地中海から黒海につながる狭いダーダネルス海峡の西岸の長い半島だ。西部戦線がこう着すると、連合軍は黒海を通じてロシアと連結するため、ガリポリ半島占領計画を立て、1915年4月25日、大々的な上陸作戦を開始したが、この命令を下した人物が当時海軍長官だった40代のウィンストン・チャーチルだった。
この上陸作戦にはアンザック(ANZAC=豪州-ニュージーランド部隊)も参加した。単に英国の植民地だったという理由だけで、全く関係がない欧州戦争に投入されたのだ。この戦闘は双方から100万人以上が動員され、10万人以上の戦死者と25万人以上の負傷者を出した。残酷な戦闘だった。この作戦はトルコ軍の頑強な防御で失敗に終わり、翌年2月、連合軍は完全に撤収した。
敗戦の責任からチャーチルは更迭され、軍神と呼ばれた伝説的指揮官ハーバート・キッチナー将軍も名誉に墨を塗って無能な指揮官に転落した。防御に成功したトルコ軍の指揮官の1人がムスタファ・ケマル・パシャ(将軍)で、後にトルコ共和国を創建し、「トルコの父(アタテュルク)」として崇められる。