【時視各角】悲しみよりも憤怒の調節ができない理由=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.22 13:14
悲しい目をとても正視できなかった。
1994年の聖水(ソンス)大橋崩壊事故現場だった。「生まれてからただの1度も不孝をしなかったのに、死んで帰ってくる不孝とはなんということか」と絶叫する母親。そばでは「ハンサムだった兄さんが…顔がなくなりました」と半分ほど正気を失った妹に会った。
どんな話なのか尋ねなければならなかった。ひとつひとつ取材手帳を取り出した。「こんなことを私がなぜしているのか」。記者になったことをその時初めて後悔した。それでも尋ねて書いた。いまどんなことが起きているのかしっかりと記録しておかなければならないと自分を合理化した。