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【コラム】韓国旅客船惨事…救助された者にも残る深い傷

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.17 14:50
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「教育活動の一環として学生たちが平常時に接することができない場所で、自然および文化を実地で見聞きして知識を広げる旅行」。修学旅行の辞書的な意味だ。だが行ってみた人は知っている。現実がどれほど違うものかを。もともと観光地で何をしたのか、何の歴史的背景なのかは思い出せるものがない。むしろ先生の目を盗んでの飲酒やいたずら、精一杯のおしゃれをした私服ファッション、クラス対抗の特技自慢などがその代わりを満たす。

16日、仁川(インチョン)から済州島(チェジュド)に向かった清海鎮(チョンヘジン)海運所属のセウォル号に乗っていた安山(アンサン)の檀園(ダンウォン)高校の生徒325人も、ほぼ同じようなことになるはずだった。少なくとも朝食を終えた頃まではそうだった。前日の夜から余興が始まっていた。旅客船の中にはレクリエーション施設もあったし、売店でおやつを買って食べる楽しみもあった。友人同士、三々五々に集まって済州島旅行の話で盛り上がっていた。「立派に漢拏山(ハルラサン)に登頂しよう」「写真をたくさん撮って思い出を作ろう」という野心に満ちた計画を立てていた。「騒ぐな」「歩き回るな」といった先生の小言を聞く必要もなかった。13時間半も乗って行く航海で、すでに修学旅行の楽しみをしっかり満喫しているところだった。

 
そして予定どおりなら、明日の午後には家に戻るはずだった。家族の人数に合わせて選んだ記念品、龍頭岩(ヨンドゥアム)・城山峰(ソンサンボン)での認証ショットがいっぱいになった携帯電話を手にして。久々に漢拏山(ハルラサン)に登って足が重苦しかったこともあっただろう。いずれにせよ、闇の中で水が入ってくる死の恐怖のようなことは夢にも思わないことだった。

今回の事故がそのどんなケースよりも残念なのは、乗客の大多数が高校生たちだったことだ。まだ17歳ほどにしかならない子供たち、突然の生死の別れ目で彼らが体験した恐怖と衝撃を誰が代わりに察することができるだろうか。救助活動を見守りながら、その状況を想像する親たちの心もまた、どれほど張り裂けそうになっていることだろうか。わけもなく見送ったという後悔がまた、どれほど深く胸にしみているだろうか。

克己訓練や新入生歓迎会、修学旅行まで、生徒たちが見舞われる事故が繰り返される。2月慶州市(キョンジュシ)のマウナオーシャンリゾートでは大学の新入生たちが、昨年7月には海兵隊キャンプで実施した克己訓練中の公州師大付設高校の生徒5人が命を落とした。

大人たちが招いたとんでもない惨事の後には、生きている者も去った者も深い傷が残る。その代表的なものが外傷性ストレス症候群だ。戦争・拷問・自然災害・事故など深刻な事件を経験した後、その事件に恐怖感を抱いて日常生活で困難を経験する心理的苦痛だ。「今一番痛ましいのは、あの子供たちが日常に戻らなければならないということ。隣の席が空いたまま、一昨日まで一緒に遊んでいた友人がいないまま、再び元通りの生活をしなければならないということ。これはいったい何の拷問なのか」。ツイッターに上がってきたある文だ。事故収拾はいつか終わるだろうが、本当に終わったわけではない理由がここにある。

イ・トウン中央SUNDAY記者


【特集】韓国旅客船「セウォル」沈没事故

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