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【コラム】統一の最も大きな障害は意志の欠乏=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.17 17:24
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隋・唐の大軍を繰り返し撃破した高句麗は新羅より軍事力が強かった。広い農地を持つ百済は新羅より経済力があった。軍事力・経済力で高句麗と百済に遅れていた新羅は、何の力で3国を統一したのか。よく指摘されるのが羅唐連合作戦を成功させた外交力だ。金ユ信、官昌ら若い花郞(新羅の青年貴族集会の指導者)を有能な武士に育てた教育も大きな役割をした。元暁、義湘ら高僧は仏心で国民を統合するのに寄与した。何がこうした外交と教育と国民統合を可能にしたのか。

慶州皇龍寺跡に9層の木塔址が残っている。善徳女王当時に建設された9層の塔は、新羅周辺の9カ国、倭・唐・呉越・耽羅・百済・靺鞨・契丹・女真・高句麗を指す。『三国遺事』第3巻の塔像によると、将来これらの国が新羅に朝貢を捧げることになるという意味だという。9層の塔は新羅人の統一の意志を築いたものだ。

 
敗亡前の南部ベトナムは極度の混乱状態だった。政府は無能で、官僚は腐敗した。米軍の撤収と民主化を要求するデモ隊が街にあふれ、僧侶は焼身自殺を続けた。米軍が朝に支援した武器が、晩にはベトコンの手に渡った。統一の意志はどこにも見られなかった。北ベトナムは違った。国父・胡志明(ホー・チ・ミン)は共産化統一を遺訓として残した。北ベトナム軍は休戦協定で米軍が撤収してから2年余りでサイゴンを陥落させた。北ベトナムの統一意志は確固たるものだった。

誰がドイツの統一が突然訪れたと言うのか。西ドイツは早くから基本法第23条に東ドイツをドイツ連邦に加入させる吸収統一の根拠を用意し、1961年から東ドイツの反人道的犯罪行為を調査するザルツギッター法務記録保存所を運営した。経済支援と人権問題を連係させたヘルシンキ協約を忠実に守りながら、東ドイツに対する経済支援の見返りに、東ドイツの政治犯とその家族およそ28万人を西ドイツに連れてきた。78年には青少年を統一時代に導いていくための「統一教育基本指針」を制定した。強力な統一意志の表れだった。

ドイツの統一は90年10月3日に公式宣言されたが、実際には89年春から続いた東ドイツ住民の反政府デモと同年11月のベルリンの壁崩壊ですでに始まっていた。壁を越えた東ドイツの住民は東西ドイツの差が単に経済分野に限られたものでないことを知った。自由! 人間らしい生活の源泉である自由は共産体制下では決して享受できないということを東ドイツの人々は強く感じた。東ドイツの住民はついにホーネッカー共産政権を倒し、その結果は翌年の統一条約締結、統一連邦議会総選挙、戦勝4カ国の統一承認につながった。ドイツ統一の力は東西ドイツ住民の統一意志から生まれた。


【コラム】統一の最も大きな障害は意志の欠乏=韓国(2)

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