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「日本は賃金もくれなかったが…」サハリン徴用帰国の韓国人、ロシアから年金受給

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.10 10:18
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日帝強制占領期間にサハリン炭鉱に強制連行されて1994年に帰国したキム・ジョンダルさん。慶尚北道高霊郡(キョンサンブクド・コリョングン)の養老院でサハリン帰国者らと暮らしている。片方の目が開かないキムさんが、98年に有効期限が終わった旧ソ連のパスポートを見せて「ただ有難いだけ」と話した。
「日本は炭鉱で一日15時間ずつ死ぬほど苦労させても賃金さえまともにくれなかった…。ロシアは再び年金をくれるというから有難いだけ」。

5日慶尚北道高霊郡(キョンサンブクド・コリョングン)の大昌(テチャン)養老院で会ったキム・ジョンダルさん(94)。24歳だった1944年11月に日帝に強制徴用されてサハリンのナイブチ炭鉱に連れて行かれた。翌年に解放されたが足止めをくらった。社会主義国家であった当時のソ連と国交が結ばれなかったためであった。

 
キムさんは現地の女性と結婚して家庭を持った。「それでも祖国を忘れたことはなかった」という。ついにその機会が訪れた。1990年に韓国と当時のソ連間で国交が結ばれた。キムさんは93年末にパスポートを得て翌年、ほかのサハリン強制徴用被害者45人と共に韓国に戻った。家族は現地に置いてきた。徴用被害者のために用意された大昌養老院に身を寄せた。韓国で住民登録を出した彼らには「サハリン永久帰国者」という名前がついた。韓国国籍を得て住民登録まで受けた。永久帰国行の列はずっと続き、大昌養老院だけで150人も集まった。今はほとんど亡くなり25人だけが残っている状態だ。

キムさんをはじめとする永久帰国者らは、すでにロシアで退職しており、韓国の国民年金のような年金を受けていた。韓国にきた後はほとんどの家族に年金が出ていた。だが、それはパスポート有効期間の5年が終わるまでだった。

永久帰国者らはロシアと連絡を取る中で、年金が切れて家族が難しい境遇になっているという事実を知った。事実、収入がなくて大変なのは帰国者らも同じだった。だが「どうしようもない」としてそのまま10年余りの歳月を過ごした。養老院のシン・ウォルシク院長(48)がこうした事実を知ることになった。ひょっとして方法があるのではと釜山(プサン)の駐韓ロシア総領事館の門を叩いた。思いがけない反応が出てきた。「身元が確認されれば可能だ」とのことだった。1月29日には釜山ロシア総領事館のブラジスラフ・モシクデロ領事らが直接、大昌養老院を訪れた。プレゼントにロシアのパンや、くん製ソーセージまで持参した。

彼らは生存した25人を1人ずつ面談して写真を撮った。身元を確認後、満了パスポートを持った15人にはパスポート更新を、パスポートをなくした10人には年金受領に必要な生存確認書の発行を約束した。モシクデロ領事は「韓国国籍の取得とは関係なく彼らはロシア国民」としながら「年金を受けられるだろう」と明らかにした。ロシアは2重国籍を許容している。

永久帰国者などには、早ければ今月末にも新規パスポートまたは生存確認書が発行される予定だ。その後、年金支給申込書を出せば年金を再び受給できる。年金はロシアでいくらを年金保険料として支払ったかによって違う。通常は3カ月で韓国のお金にすると100万~150万ウォン(約10~15万円)程度だという。キム・ジョンダルさんは「ロシアに残している息子に今後、年金が戻るようにする」と話した。

シン・ウォルシク養老院長は「サハリン永久帰国者などが一生の願いだった故郷に何とか帰国したが、ほとんどの親戚が冷遇しており寂しく暮らしている」として「彼らにロシアが再び年金を与えるというニュースはこの上ない癒しになる」と話した。

サハリンから永久帰国した同胞はこれまでに4000人程度に達すると分かった。解放された45年8月15日以前に出生した人だけが帰国でき、全て69歳以上の高齢者だ。彼ららは慶尚北道高霊をはじめ釜山や京畿道安山(キョンギド・アンサン)、忠清南道天安(チュンチョンナムド・チョナン)など全国10カ所余りに集まって暮らしている。

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