【時視各角】小説家キム・フンの逆さになった大韓民国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.24 15:27
小説家キム・フンは人と対立する。このようにだ。「地方の作家が絶望している。ソウルがすべてだめにしたのではないのか?」「それは劣等感であり嫉妬だ。優れた才能を持ちながら死角地帯に放置された天才はもういない。明るい世の中だ」。彼は必ずしも愛国主義者ではない。「幼い頃、韓国戦争(朝鮮戦争)当時、8泊9日で釜山に疎開した。列車の屋根に乗って行った多くの人が犬死にした。客室の中には多数の高官が乗っていた。彼らは犬の茶碗まで荷物をまとめて載せた。私たちの祖国はこうした国だった」。
最近、彼はこのような話をよくする。「私は小説家だが、年初に新春文芸の作品は読まなかった。最も目を引いたのは大企業トップの新年の言葉だ。金持ちの彼らが次に何を食べて生きていくのか、飯の心配をしていた」。サムスンの李健熙(イ・ゴンヒ)会長は「一時も安心できない状況」とし、LGの具本茂(ク・ボンム)会長は「今はまさに危機」と述べた。「新しい成長動力」が小説家の目には飯の心配に映った形だ。
興味深いのはその次の部分だ。キム・フンは「ところが、実際に飯を心配をしなければならない青年失業者は、彼らの運命を社会のせい、構造せいにしている」と述べた。彼の視線は、冬に雪が降った街にも向かった。「路地や家の前では高齢者だけが雪を片付けていた。若い人の姿は見られなかった。若者たちは雪も政府が片づけるべきだと考えているようだ…」。