金九・柳寛順が収監された西大門刑務所「ユネスコ世界遺産に」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.20 13:18
「多くの囚人が座っている時は、まるでもやし頭が並んでいるようで、寝る時には1人は頭を東側に、もう1人は西側にして横になる。それでもさらに横になる場所がなければ残りの人は立ち上がり、左右に1人ずつ力の強い人が板の壁に背中をつけて、両足で先に横になった者の上半身を力いっぱい押す」。
金九(キム・グ)先生は『白凡日誌』で西大門(ソデムン)刑務所の獄中生活をこのように描写した。約13平方メートル(約3.9坪)の空間に40~50人ずつが押し込まれ、会話さえ許されなかった空間。1908年に日本が侵略を本格化させる前に作った京城監獄の活用法だった。三一独立万歳運動で捕えられた柳寛順(ユ・クァンスン)烈士は光がまったく入らないここの独房で1920年に亡くなった。