【噴水台】「文化輸出」の強迫のために韓国固有の感性を犠牲にしてはいないか
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.13 14:07
「K-POPスター」(SBS、ソウル放送)というオーディション番組をたまに見る。歌の競演だが、歌を期待して見るのではない。若い仲間たちの挑戦と努力、毎段階成長する姿がほほえましくて見ごたえがあるからだ。脱落者たちを見ると残念だが、その一方では彼らのためには良かったという気持ちにもなる。歌さえうまければ誰もが歌手になれるわけじゃないという現実を早く悟って、新しい人生を探すのも大切なことだからだ。
ところで前回、初めて参加者の歌に鳥肌が立つほどの感動を感じた。参加者ホン・ジョンヒさんが歌手チェ・ペクホの『ロマンについて』を歌った時だった。その瞬間「そうだ。私たちにはこんな歌があった」という思いがハッと浮かんだ。感動が大きかったのか彼女の脱落の瞬間、当事者も淡々としていたが私1人が涙を流して大げさに感動していた。専門家の審査委員パク・チニョン氏は「感動的ではなかった」が、私の「感動のツボ」は何だったのだろうか。私が非専門的である上に好みが古臭かったからなのだろうか。