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東日本大震災から3年、妻を探そうと潜水士になった日本人

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.13 10:04
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2011年3月11日の東日本大震災発生からちょうど2年11カ月となる11日午前11時。

黒い潜水服に15キログラム達する酸素ボンベを持った50代後半の男性が宮城県女川の海に飛び込んだ。水深6メートルの非常に冷たい冬の海。一定の水深で潜水する練習を1時間30分にわたり繰り返したこの潜水夫は高松康雄さん(57)。彼の頭の中にはひとつの思いしかなかった。「自分の手で妻を家に連れて帰る」。

 
高松さんは7日に潜水士の国家資格を取得した。3年近く行方不明である妻の祐子さんを海の中から見つけるためだ。

妻は地震当時、海岸から100メートル離れた宮城県七十七銀行女川支店でパートタイマーとして働いていた。女川を襲った津波の高さは20メートル。同僚12人と高さ13メートルの屋上に逃げたが1人だけが生き残った。1日過ぎて確認した高松さんの携帯電話には妻のメッセージが残っていた。「大丈夫?(家に)帰りたい」(津波到達直前の11日午後3時21分)。

数日後に妻の携帯電話ががれきの山から見つかった。通信状態が良くなかったせいなのか高松さんに届かなかった最後のメッセージが残っていた。

「どれほど恐ろしかっただろうか」。

高松さんは胸が張り裂けるようだった。航空自衛隊を定年退職し女川でバスの運転手として第2の人生をスタートさせようとする夫をだれより励まし喜んだ妻だった。高松さんは妻の最後の銀行の制服姿を思い出すかと銀行の窓口も遠ざけた。死亡届も「すべてが終わったことになるようで」提出を保留した。代わりに海上保安庁に依頼し同僚の遺体が発見されたところを中心に海中を3回捜索してもらった。だが、特別な手がかりは発見できなかった。

「自分で探さなければならない」。

高松さんは昨年11月にスキューバダイビング店を運営する知人の指導を受けてスキューバダイビングの資格を取得した。しかし津波のがれき除去や捜索などをするためには別に潜水士の国家資格が必要なことを知り勉強に打ち込んだ。毎晩夕食後に机に向かい350ページに及ぶ問題集と参考書をひとつひとつ覚えていった。そして今月7日に合格証を手にした。

「技術を身につけるには夏を待ったほうがいいのではないか」という周囲の引き止めに、「1日でも早く妻を探さなければならない」として急いだ。

高松さんは毎日新聞など日本のメディアの取材に、「冷たい海の底に沈んだままでいるのはとてもかわいそうだ。私にメールで『帰りたい』と言っていたので私の手で妻を探し必ず家に連れて帰りたい」と話した。



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