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韓国に助けられたアゼルバイジャン留学生、今は私が…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.05 17:18
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故国アゼルバイジャン(Republic of Azerbaijan)から送られてくる約20万ウォン(約2万円)で1カ月間の食事代・本代などを解決するは厳しい。それでも毎月欠かさずお金を使うところがある。自分より厳しい状況にいる隣人を助けるための寄付だ。

「韓国に報いたい」として毎日300ウォン、500ウォンずつ小遣いを貯め、4年間寄付を続けている外国人留学生ラヒル・アマドバさん(25)。余裕のない国から留学に来て、韓国での生活も大変だが、2011年から毎月5000ウォンずつ隣人に寄付している。

 
韓国国内のアゼルバイジャン国民は約100人にすぎない。アマドバさんは2008年、韓国政府招請奨学生に選抜され、韓国に来た。今年で留学生活7年目だ。啓明大経営学科を卒業し、現在は慶北大大学院経営学科マーケティング修士課程にいる。英語・韓国語・ロシア語など5カ国語を話し、“才能寄付”もしている。

2009年、啓明大のある教職員をいきなり訪ねたアマドバさんは「隣人を助ける方法を教えてほしい」と尋ねた。その後、低所得家庭の子どもたちが生活する福祉館を紹介された。一週間に3回、一日に2時間ずつ子どもたちと会った。1年間にわたり英語の無料授業をし、菓子や果物なども準備した。

2010年にはさらに欲が生じた。今度は赤十字社を訪ねた。生活が厳しい子どもたちがたくさんいることを知った。この時から3カ月に1回は子どもの相談教師をしている。昨年は韓国での生活に慣れない多文化家族50人を赤十字社に呼び、自分の経験を伝えた。先月からは氷点下の寒い天気にもかかわらず、募金箱を持って北大邱ICの料金所に出ている。韓国ボランティアメンバーも避けるという高速道路での募金を志願した。

自分の生活も大変なアマドバさんがなぜこれほど他人を助けるのだろうか。韓国とは特別な縁があった。4歳だった1993年、旧ソ連から独立したアゼルバイジャンとアルメニアは3年間ほど戦争をした。父親は参戦し、銃弾を受けて負傷した。食事を心配しなければならないほど家族は生活苦を経験した。1993年から2003年まで難民キャンプで暮らした。

この時、韓国という国に初めて会った。「難民キャンプで赤新月(イスラム国家の赤十字社)奉仕院がパンと牛乳、服を与えてくれた。韓国人が出した後援支援金による物品だと聞いた。政府奨学生に選抜され、韓国が勉強というプレゼントをまた私に与えてくれた」。

アマドバさんは新しい隣人助け合い団体を作っている。大学生・大学院生など留学生を集めて韓国人を助けるボランティア団体だ。団体の名前は「HOPE」。「修士を取得して就職すれば、月給の10%ほどは韓国人を助けるのに使いたい。その時は私が韓国にプレゼントをする」。

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    2014.02.05 17:18
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    アゼルバイジャンから来た留学生ラヒル・アマドバさんが高速道路の料金所で募金活動をしている。
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