【コラム】私たちが考える韓国的vs外国人が考える韓国的
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.02.01 09:55
4年前にファッションデザイン専攻の大学生とプロジェクトを進めたことがある。毎月1回ずつ学校を決め、参加学生に違うテーマを出した。ただ共通点は、韓国的なものを入れながらも現代的に変貌した作品を作ることだった。ここから学生の悩みは始まった。果たして「韓国的」なものとは何かという定義から出さなければならなかったからだ。しかし数回やってみると、不思議にも答えは大同小異だった。たっぷり、曲線、柔らかさ…。韓服や韓屋の瓦などを考えれば納得できる単語だった。当然、作品もそのようなシルエットを持つデザインが多かった。当時は「果たしてそうだろうか」という疑問を一度も提起しなかったが、その理由を考えてみると、記者の立場でも作る学生の立場でも「最も安全な選択」をしたのではないだろうか。きものモチーフの服を見れば「ジャパニーズスタイル」と釘を刺せる先例があったということだ。
その後も「韓国的デザイン」は相変わらずあいまいなキーワードだった。ファッション韓流という言葉が登場し始め、「韓国的デザイン」という表現がよく使われたが、デザイナーごとに考えは違った。韓服の伝統素材を利用したりハングルをモチーフとする服を韓国的デザインと話す人がいる一方、「韓国人が作れば何をしても当然韓国的な要素が加わる」と話す人もいた。その度にスペクトラムが実に広い概念だという程度に考えてしまった。今回の「ピッティ・ウォモ」に参加したF.N.B.C.by Instantologyのジャケット。格式ある正統ジャケットスタイルに変形を試みた。