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「一体どうして可能だったのですか?」…韓国セマウル運動に惚れ込むOECD

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.10 14:47
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1972年2月、忠清南道唐津郡大湖芝面出浦里(チュンチョンナムド・タンジングン・テホジミョン・チュルポリ)では「小さな奇跡」が起きていた。今でもこの村に伝説のように伝わる干拓地造成事業がそれだ。まともな器具・装備1つなかった時期に住民たちは、背負子(しょいこ)とリヤカーで海をふさいで農地を育て、周囲を驚かせた。60年代から多くの業者が海面の埋め立てを試みたが、不良な環境のせいであきらめたことを、専門家ではない村の住民たちの手で実現したのだ。その原動力は、セマウル運動だった。

それから40年余りが過ぎた2014年。彼らの成功の秘訣が世界の注目を浴びることになった。経済協力開発機構(OECD)が、地域住民ら自らが環境改善と農村開発に成功した模範ケースとしてセマウル運動を挙げて、韓国外交部とともに1年半の間これを研究することにしたのだ。セマウル運動の原形から開発途上国に適用できる一般的要素を見出すことが目標だ。

 
このために9日午前、外交部庁舎では「韓国-OECD協力事業約定書交換式」が行われた。マリオ・ペッツィーニ(Mario Pezzini)OECD地域開発センター所長(58)は「90年代中盤から農村開発の研究をしてきたが、韓国のセマウル運動を見つけて非常にうれしかった」として「農業だけに集中せず、社会インフラ開発までさまざまな部門の事業が統合的に行なわれるのをセマウル運動で初めて見た」と話した。

農村開発の専門家であるペッツィーニ所長は、個人的にもセマウル運動に大きな関心を持っており、そのため今回の約定書交換式にも直接参加したという。彼は40年余り前、セマウル運動の指導者が書いた日誌や事業計画書などのハングル資料を研究に活用するために韓国人コンサルタントまで雇う計画だ。

インタビューのために会った席で、ペッツィーニ所長はむしろ記者に質問を投げかけた。セマウル運動の独特の方式と成功の秘訣について気になることだった。特に彼が注目したのは、反対要素が絶妙なバランスで共存する点だった。

「上から下りてくる政策が中心だが、意志決定構造は住民が主導する『下から上に』方式だ。また各村は目標達成のために競争して、村内では強力な協力が行なわれて地域全体が発展する。見慣れないことだが、根本的な、とても興味深い組合だ。一体どうしてこのようなことが可能だったのか?」

彼は優秀な成果を出した村には賞金や大統領の賜金・セメントなどの補償がなされ→こうしてもらった現物は再び村の開発のために投資され→収益ができればその一部を再び新しい事業の種子とする、インセンティブ制度にも関心を寄せた。

OECD開発センターは、こうした要素を分析して来年9月、開発議題を議論するポスト2015国連会議で政策代案報告書を出す予定だ。韓国は2011年からルワンダなど5カ国でセマウル運動の経験を伝授する公的開発援助(ODA)を進めている。

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