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張成沢処刑に沈黙する中国、体面汚した毛沢東の記憶でジレンマ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.18 10:45
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親中国派に分類されてきた北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)前国防委員会副委員長の処刑に対し、中国が沈黙している。張成沢逮捕(8日)と処刑(12日)に続き、17日に金正日(キム・ジョンイル)死去2年の追慕大会が開かれたが、中国は慎重な態度で維持している。張成沢処刑が北朝鮮メディアで報道された13日、中国外務省の洪磊報道官が「(その事件は)北朝鮮の内部の問題」と短く言及したのがすべてだ。

中国が親中派で改革・開放論者だった張成沢の粛清に特に反応しない理由は何か。冷戦史専門家である北朝鮮大学院大学のシン・ジョンデ教授(政治学)は、冷戦時代の朝中関係の経験に注目すべきだと話す。歴史的に中国が北朝鮮内部の権力闘争事件に下手に介入して失敗したことが多かったため、「宗派分子」として粛清された張成沢事件に形式的には沈黙を守っている、という分析だ。

 
代表的な例が朴憲永(パク・ホンヨン)元南朝鮮労働党首処刑だ。金日成(キム・イルソン)が韓国戦争(朝鮮戦争)失敗の責任を押し付けて1953年3月に朴憲永を自宅軟禁すると、毛沢東は「朴憲永のような人物を殺してはいけない」と強く要求した。しかし金日成はこれを黙殺し、55年12月に「米帝の雇用スパイ」として朴憲永を死刑とした。毛沢東としては体面を汚す格好となった。

金日成が延安派(親中勢力)とソ連派を粛清した56年の「8月宗派事件」当時も、中国は似た経験を持つ。毛沢東は当時、朝鮮労働党中央委員長だった金日成を解任しようと、彭徳懐を当時のミコヤンソ連第1副首相とともに平壌(ピョンヤン)に派遣したが、金日成が先手を打って失敗した。結局、毛沢東は57年11月、モスクワで金日成に会い、「(56年宗派事件当時)金日成路線が正しかった」と認め、事実上謝罪までしなければならなかった。これを契機に中国は韓国戦争当時に出兵した人民解放軍を、北朝鮮の要求で58年末に撤収することになった。

パク・ビョングァン国家安保戦略研究所研究委員(中国政治)は「中国は北の宗派事件に介入しようとして大きな損失を出したトラウマがあるうえ、内政不干渉という外交原則のため、張成沢が粛清されても慎重な態度を見せている」と分析した。しかしパク研究委員は「3度目の核実験に続き、張成沢処刑事件が発生したことに対し、中国内部は憤慨しながらもジレンマに陥っている」と診断した。

金正恩の代案勢力が北朝鮮になく、北朝鮮の戦略的価値を中国があきらめることもできないため、北朝鮮を抱えていくしかない状況が中国を困惑させているという分析だ。

最近北京を訪問したイ・テファン世宗研究所中国研究センター室長は「金日成総合大学を卒業した中国の韓半島問題専門家らさえも、張成沢の処刑までは予想できなかったと当惑していた」とし「それでも朝中経済協力は簡単に中断されることはないと予想し、張成沢の代わりの人物が出てくることを期待する雰囲気が感知された」と伝えた。

こうした中、中国の学習時報の副編集長だった鄧聿文は16日にフィナンシャルタイムズに掲載された寄稿で、「北朝鮮は張成沢処刑後、中国の心情をなだめようとするだろう」という見方を示した。

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