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自殺した張成沢の一人娘が生きていたとすれば…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.17 14:39
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「張琴松(チャン・グムソン)が生きていたとすれば、張成沢(チャン・ソンテク)が悲惨な最期を迎えていなかったかもしれない」。

北朝鮮のロイヤルファミリー分析を担当していた元政府当局者の言葉だ。張琴松とはフランス留学中だった2006年8月に自殺した張成沢の一人娘。

 
この当局者は16日、「金敬姫(キム・ギョンヒ)と張成沢は長いあいだ別居生活をし、事実上、離婚と変わらなかったが、張琴松が生きていた頃は2人をつなぐ絆だった」と述べた。張成沢の女性関係で不和が生じても、張琴松を媒介に夫婦関係を維持したということだ。

この当局者は「張琴松が自殺した後、張成沢夫婦は娘が死亡した理由をめぐって争い、取り返しがつかない状況になった」とし「張琴松が生きていたとすれば、張成沢は最小限の家族関係を維持できただろうし、処刑という悲惨な状況となる前に母(金敬姫)やいとこ(金正恩)に頼んで救援を求めることができただろう」と述べた。

張琴松は29歳で自殺するまで長い間、フランスで生活してきた。大学に進学する場合、身分が露出するのを懸念し、高校を2回通ったという。当時フランス大使館に勤務していた元外交官は「張琴松は北から一緒に来た高位層の女性と一緒に生活をし、2人を保護する役割をする男性もいた」とし「張琴松がこの男性と恋愛しているという噂があった後、自殺の話を聞いた」と話した。

娘が一人で留学生活するのを不安に感じた張成沢夫婦が金日成(キム・イルソン)総合大フランス語科を卒業したキム・オクギョンという女性と男性警護員1人と一緒に生活させたという。しかし張琴松が警護員と恋愛をし、これに反対した親から召還の通知を受け、自殺を選択したというのが当局の分析だ。

軍部内で地位を固めた兄2人、張成禹(チャン・ソンウ)大将(2009年8月死亡)と張成吉(チャン・ソンギル)中将(2006年7月死亡)の死も、張成沢の没落を招いた要因に挙げられる。

北朝鮮が13日に発表した国家安全保衛部特別軍事裁判所の判決文は「(張成沢は)最近任命された軍隊幹部はよく知らないが、以前に任命された軍隊幹部とは面識がある」と明らかにした。兄の死後、張成沢の軍部内の影響力が消えたということだ。政府関係者は「結果的に、血縁も軍部内の力も消えた状況で、張成沢処刑で張氏一家は崩壊することになった」と話した。

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