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<張成沢処刑以後>11年前にソウル訪れた張成沢、「遊興飲食店行ってみよう」奔放な言動

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.16 11:31
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張成沢(チャン・ソンテク)は北朝鮮の最高位層の中でも珍しくソウルを訪問した要人だ。彼の行跡が韓国側の人々の記憶にはっきりと残っているという意味だ。彼がソウルを訪ねたのは金大中(キム・デジュン)政権だった2002年10月26日だった。2000年6月の南北首脳会談の後続措置の一環で訪韓した経済視察団の「団員」資格で訪れた。

視察団長は、北朝鮮が貨幣改革の主犯に追い立てて処刑した張成沢の側近パク・ナムギ国家計画委員長だった。しかし団長は張成沢の顔色をうかがっていた様子だった。新羅ホテルで荷物をとき、最初の日程である三成洞(サムソンドン)の貿易センターに移動するためエレベーターから出てくるとパク・ナムギ団長が張成沢の邪魔にならないよう目を配りながら並んで歩いていた。

 
当時、張成沢は高級なグレーの洋服に浅い茶色のカラー入り眼鏡をかけていた。左側の胸に付けている金日成(キム・イルソン)バッジ(肖像徽章)さえなければ北朝鮮の人には見えないほどだった。「ソウルを訪れた所感がどうか」という記者たちの質問が続くと彼は「団長先生に尋ねてください!」とだけ答えた。返事は短かったが、南側メディアに対しても緊張するようではなく、余裕のある態度だった。

彼は訪韓の期間中、辺りをはばからない行動を続けた。彼は自身に韓国メディアの関心が集中するのを感じたからなのか、北側関係者を呼んで「明日(28日付)の南側新聞が出てきたら内容を報告せよ」という指示も出したという。

慶州に立ち寄った時には有名なエピソードを残した。北側経済使節団の宿舎は慶州のインターブルゴホテルだった。朝食は午前7時からホテル1階でとるようになっていたが、北側の人々は誰も食堂にこなかった。張成沢が起きなかったからだ。彼は予定された食事時間を20分過ぎて出てきた。それまでの間、誰もドアをたたくことができなかった。張成沢が出てくると北朝鮮使節団の人々は両側に並ぶように廊下の壁側に立って道をよけたという。当時、北朝鮮視察団と日程を共にした韓国側関係者は「誰もあえてドアをたたけなかった印象だった」と伝えた。

彼は韓国に滞在した間にバランタイン30年産の高級洋酒で爆弾酒を飲み、遊興飲食店にも行ってみようといったほど自由奔放な行動を見せたというのが当時の関係者たちの話だ。

張成沢は水原サムスン電子工場も訪れた。パク・ナムギ団長がクレジットカードを利用する自動販売機の前で「計算はどのようにするのか」「後でカードの値段を出さなければどうなるか」などと尋ねていると、隣の人につまらないことを尋ねるなというように「おい!はやく行こうって!」と催促もした。パク・ナムギは何の質問もできずに張成沢の表情だけうかがっていたというのが関係者の説明だ。当時でさえもロイヤルファミリーの「力」が感じられたようだった。

当時、張成沢は帰国の際にサムスン電子で関心を持って見ていたキムチ冷蔵庫を板門店経由で北へ送ったという。韓国開発研究院(KDI)で出版する予定だった「北朝鮮の経済発展戦略の摸索」という460余ページの報告書も何冊かまとめた。北朝鮮の経済回復のために外資誘致を通した特区開発が避けられないという「島」(特区)戦略を展開しなければならないという内容が盛り込まれた。「セマウル運動」戦略も入っていたという。

その時の北朝鮮は、新義州(シンウィジュ)特区開発を進めていた。金正恩(キム・ジョンウン)も最近14特区を選定したが、外部の文物を徹底的に遮断して有利なものだけ受け入れる「蚊帳(かや)」方法の開発を主に主張していた当時の状況を考慮すれば、張成沢でなくては報告書を持っていく可能性もなかったという評価だ。

訪韓活動を終えて平壌(ピョンヤン)に戻った張成沢は数カ月後に粛清された。側近の豪華な結婚式と組織指導部の中に別の査察および経済部署を作ったという理由からだ。

金正日はこれに関連して、2005年6月に特使として平壌を訪問して張成沢の安否を尋ねたチョン・ドンヨン統一部長官に「南側で爆弾酒をたくさん飲んで体を壊したというので少し休むように言った」と受け流した。しばらくして張成沢は労働党行政府長にカムバックした。父親は少し休むようにしただけだが、息子の金正恩は違っていた。

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    <張成沢処刑以後>11年前にソウル訪れた張成沢、「遊興飲食店行ってみよう」奔放な言動

    2013.12.16 11:31
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    2002年10月26日、北朝鮮の高位経済視察団として韓国を訪れた張成沢(チャン・ソンテク)党中央委員会第1副部長(当時)。パク・ナムギ北側視察団長(2010年処刑)がソウル三成洞(サムソンドン)の貿易センターでキム・ジェチョル韓国貿易協会長と握手をしていた。北朝鮮の視察団一行は当時8泊9日の日程で滞在した。(写真=中央フォト)
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