【噴水台】ユネスコを魅了したのはキムチ自体より分かち合う文化
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.06 13:54
『大根、白菜を採ってキムチを漬けよう/前の小川の水できれいに洗って塩加減合わせて/唐辛子 ニンニク ショウガ ネギに/塩辛キムチ チャンアチと/大甕の側にチュンドゥリ・パテンイに壷/日の当る場所に穴を掘ってわらで包んで深く埋め/種取用の大根に熟れた栗やどんぐり 一斗も凍らないよう保管しよう…』
チョン・ハギュ(1786~1855)の作品で知られる歌辞『農家月令歌』の十月令を見れば、19世紀にはキムチ漬ける風習が広く定着していたようだ。唐辛子や粉唐辛子がキムチ作りに使われたのも1800年代以後であった。文献から推察すると17~18世紀は塩漬けや酢漬けキムチが一般的だった。当時はキムチに赤味を出したければ鶏頭花を利用したという。
朝鮮後期の文人でありチョン・ヤギョンの次男であるチョン・ハギュが実際にキムチを作ってみてこのくだりを書いたのだろうか。京畿道(キョンギド)楊州(ヤンジュ)で自ら農作業をした方だから、その可能性もあるだろうが、どうしても女性や使用人たちが代わりに苦労したのではないかと思う。だとしても、家父長時代の礼儀正しい儒学者が農村風習を全季節あれこれのぞいて観察して文に移す姿を想像すればなぜかほほえましく思う。