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北朝鮮の歴史は血の粛清史…公開銃殺、無条件服従を誘導(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.05 11:19
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公開処刑は「恐怖の統治術」だ。最小限の尊厳もなく凄惨な最期を迎える場面を群衆に目撃させることで、権力に対する無条件の服従を誘導する。張成沢失脚説が浮上した北朝鮮で公開処刑問題がまたイシューとなっている。

4日の国会外交統一委員会では、北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)国防委副委員長兼党行政部長の側近に分類される行政部の李龍河(リ・ヨンハ)第1副部長と張秀吉(チャン・スギル)副部長の公開処刑に関する質問が続いた。

 
「11月末に(張成沢の)側近2人に対する公開処刑があったのは事実か」という鄭文憲(チョン・ムンホン)セヌリ党議員の質問に対し、柳吉在(リュ・ギルジェ)統一部長官は「そうだ」と答えた。前日に国家情報院が報告した内容を確認したのだ。

しかし洪翼杓(ホン・イクピョ)民主党議員は「北で高官の公開処刑は、農業担当書記が1997年9月に農政失敗と関連し、間諜罪まで含めて公開処刑されたのが唯一の例」と主張した。また「2000年代半ば以降、人権問題が提起されるため、一般人に対しても公開処刑をしていないと聞いている」と話した。

しかし政府当局者は「北で公開処刑は核心幹部だけでなく、一般住民も対象にして広範囲に行われている」と明らかにした。先月3日にも江原道元山など少なくとも7カ所の地方都市で約80人が公開銃殺されたという情報もあるという。

2010年3月には朴南基(パク・ナムギ)国家計画委員長が公開銃殺されたと知られている。金正恩が後継者時代、経済業績とするために09年11月に断行した貨幣改革(デノミ)が住民の反発で失敗し、犠牲になったのだ。翌年1月には保衛部の柳敬(リュ・ギョン)副部長が韓国を非公開で訪問した後、間諜罪で公開処刑された。

脱北者の趙明哲(チョ・ミョンチョル)セヌリ党議員は外交通商委で、「北で公開処刑といえば銃殺を意味する。私も目撃したことがある」と話した。

北朝鮮の歴史は粛清の歴史だ。粛清の極端な形態としてよく見られるのが公開処刑だ。故金日成(キム・イルソン)主席は韓国戦争(1950-53)中、ソ連の後援を受けていた許哥而(ホ・ガイ)を除去(北朝鮮は自殺と主張)し、南朝鮮労働党出身の朴憲永(パク・ホンヨン)と李承ヨプ(イ・スンヨプ)を間諜罪で粛清した。続いて最大のライバルだった崔昌益(チェ・チャンイク)と尹公欽(ユン・ゴンフム)など延安派勢力を除くことで金日成体制を確立した。

1960年代に入ってからは、金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継体制に反対する甲山派と軍幹部の粛清が続いた。


北朝鮮の歴史は血の粛清史…公開銃殺、無条件服従を誘導(2)

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    2013.12.05 11:19
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