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【時論】東洋平和追求した思想家、安重根

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.11.29 13:46
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日本が自民党安倍晋三総理内閣になってから、毎日のように韓国関連の妄言が続いている。特に今月19日には日本政府のスポークスマンである菅義偉官房長官が定例ブリーフィングで「安重根(アン・ジュングン)は犯罪者」という卑劣な言葉をすることで韓国民の怒りをかっている。

朴槿恵(パク・クネ)大統領が18日、大統領府で中国の楊潔チ国務委員に面会して安重根義士が伊藤博文を射殺したハルビン駅に記念碑を設置する議論が順調に進んでいると感謝を表明すると菅長官が怒ったのだ。記念碑設置は朴大統領が去る6月北京韓中首脳会談で習近平中国国家主席に協力を依頼した事案だ。菅長官の妄言は日本政府のスポークスマンとして韓中両国に外交上の礼儀を欠いただけでなく、日本の閣僚の歴史意識水準を計り知れるようにしたという点で懸念が先んじる。

菅長官の妄言のように安義士は果たして犯罪者なのか。安義士は1909年10月26日にハルビンで伊藤博文を狙撃した直後、太極旗を取り出して「コレア ウラ!(韓国万歳!)」を三唱してロシア憲兵に堂々と逮捕された。狙撃直後、なぜ逃げなかったのかという日本の検事の質問に安義士は、法廷で堂々と伊藤博文の罪を明らかにしようと思ったためだと答えた。彼は「伊藤博文の罪15条」を数え上げて根拠の正当性を明らかにした。鋭くよどみない安義士の返事に日本の検事は委縮した。事実、当時ハルビンはロシア租借地だったため、安義士はロシア裁判所で裁判を受けるはずだった。しかし日本は国際法を無視して自国の管轄だった中国、旅順の関東裁判所で裁判を敢行した。公判が行われた当時、小村壽太郎日本外相は旅順の関東裁判所に安義士を極刑に処しろという指示を1909年12月2日に伝文で指令した。万一にも安義士が法廷闘争で勝利して解放されることを憂慮した日本政府が裁判に圧力を加えたのだ。安義士は死刑の宣告を受け、1910年3月26日に殉国した。安義士は殉国直前「私がしたことは東洋平和のためにしたことであるから、韓日の両国人が互いに一致協力して東洋平和の維持を企てることを望む」という遺言を残した。このように安義士は死をもって国を守るに終わらず、韓日両国が協力して平和と繁栄を享受することを心より望んだ方だ。当時、獄中で安義士に接した多くの日本人官吏が彼の人柄と気概に感服したということからも計り知れる。

反面、伊藤博文はどんな人物なのか。日本国内では近代日本を作った偉人と評価される。しかし対外的には東洋平和を踏みにじった侵略者で、帝国主義者であった。伊藤博文が作った近代日本は表面では立憲君主制近代国家を標ぼうしたが、事実その実体は隣国との絶え間ない戦争で植民地を確保していった典型的な帝国主義国家であった。日清戦争で台湾が植民地になり、日露戦争後には大韓帝国が保護国に落ちた。伊藤博文自身も極東平和論を前面に出したとしても、その実体は日本の指導の下にアジア諸国が一つにならなければならないという構想だった。これは彼の死後、いわゆる大東亜共栄圏として復活した。大東亜共栄を追求した帝国主義日本の歩みが結局どうだったのか私たちは歴史を通じて鮮明に記憶している。でたらめな不法裁判を通じて司法殺人を犯した日本は前後の脈絡を理解もせずに彼らが書いた判決文何行で安義士を犯罪者として売り渡している。安義士が主張した「東洋平和論」には韓国だけでなく日本が共に平和になる方略も含まれていた。菅長官が「犯罪者」とけなした安重根義士こそ、現世を生きていく東アジアの人々が表象としなければならない人物ではないのかと考える。菅長官は歴史の授業を受けなおすべきである。

アン・ウンモ(社)安重根義士崇慕会理事長

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