自衛隊が地図を描いて韓国・多富洞で教育するわけ
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.28 10:11
25日午前10時、慶尚北道漆谷郡架山面(キョンサンブクド・チルゴクグン・カサンミョン)の多富洞(タブドン)戦績記念館。韓国戦争で最大の激戦だった「多富洞戦闘」を記念して作られたここに観光バス10台が相次いで入ってきた。降りてきたのは観光客ではなく、来年3月に少尉に任官する日本の陸上自衛隊幹部候補生学校の生徒たち。女子生徒24人を含む304人全員白いワイシャツに黒いスーツを着ていた。彼らは一糸乱れず列を作り記念館2階講堂に移動した。まもなく田浦正人校長が肩に星2つをつけた制服を着て到着した。
自衛隊教官が「開戦直前の韓国軍の状況」「第1師団の後退と戦闘」という題名の資料を添えて多富洞戦闘を紹介した。最近撮影された多富洞と洛東江(ナクトンガン)周辺のようすが動画で上映された。すべて学校側が直接作った資料だった。
戦闘紹介が終わると候補生は屋上へ席を移した。戦闘が行われた遊鶴山(ユハクサン)がひと目で見られる場所だ。助教2人が戦闘状況を描いた作戦図を出した。「韓国軍第1師団は敵を背後から包囲し分散させた…」。教官が作戦図と地形を比較しながら当時の状況を伝えた。続けて屋上で指で高地の間の距離を計る実習をした。戦闘に対し順々に話を聞き地形を隅々まで調べた候補生は展示館を視察し、無名勇士の墓で黙祷してスケジュールを終えた。陸上自衛隊幹部候補生が多富洞地域をこのように細かく視察するのは2007年に始まってから今年が7回目。1年も欠かさず続いている。この日現場に同行した日本大使館の防衛駐在官は、「あまりに有名な戦闘地なので勉強しに来たもの。他の目的はない」と話した。