【噴水台】銃剣の前で乙巳条約を結んだ重明殿を知っていますか=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.23 13:31
秋空が冷えるように澄んだ季節だ。特に徳寿宮(トクスグン)の石垣の道で見る韓国の秋は十分に名品だ。何日か前、友人から徳寿宮の重明殿(チュンミョンジョン)で会おうというメッセージがきた。韓国の秋ではなく韓国の歴史の現場を見たいという在日同胞がおり、彼とともに見て回ろうという提案だった。1897年に立てられた西洋式建物である重明殿は徳寿宮の中ではなく石垣の裏、貞洞(チョンドン)キルから右に入った小さな路地の中にある。
赤れんが作りの建物は生きた歴史の現場だ。1905年11月18日午前1時、恥辱の乙巳条約が不法・強制的に結ばれた場所だ(締結日は17日)。当時ここに滞在していた高宗(コジョン)皇帝と大臣たちを日帝が軍隊を動員して脅迫し大韓帝国の外交権を奪い統監府を設置して保護国にしたのだ。その後1907年に高宗はここで密旨を下しハーグ万国平和会議に密使を派遣した。高宗の息づかいが生きている大韓帝国の運命が分かれた歴史的な場所だ。当時は徳寿宮後方にあったがその後日帝によって宮が分割縮小され切り離されることになったという。さまざまな面で国権喪失の象徴だ。