【コラム】危機に瀕している「平壌シンデレラ」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.11 15:48
金正日(キム・ジョンイル)は、乗っていたベンツのクラクションを押しまくった。それから車から降り、4階建てビルの窓側に立っていたある女性に叫んだ。「蕙琳(ヘリム)がたった今、息子を産んだ」。初めての女性である成蕙琳(ソン・ヘリム)との間に息子・正南(ジョンナム)が生まれた1971年5月10日の場面だ。男子出生の喜びに29歳の金正日(当時は労働党宣伝煽動部副部長)は、義姉である成恵琅(ソン・ヘラン)を訪ねて行き、子供っぽい行動をしたのだ。恵琅氏は1996年に西側亡命後に出版した自叙伝『藤の家』で当時の状況を伝え「金正日にとって友人の兄嫁であった蕙琳の印象は、母性の郷愁のようなものを呼び起こしたのかもしれない」と述懐した。
有名女優出身の人妻だった成蕙琳を強制離婚させて一緒に暮らすほど燃え上っていた金正日の愛も、まもなく冷めてしまった。北に送還された在日韓国人出身の万寿台(マンスデ)芸術団舞踊家・高英姫(コ・ヨンヒ)が代わりに彼の心をとらえた。成蕙琳はうつ病に苦しめられてモスクワで孤独に亡くなった。高英姫は乳腺がんなどの治療を受けてパリの病院で亡くなった。成婚したと分かった金英淑(キム・ヨンスク)は存在自体がベールの中だ。金正日の晩年を共にしたのは40代の「技術書記(秘書)」出身のキム・オクだったが、今は行方も分からないほどだ。もちろんこのような金正日の女性遍歴は外には知らされなかった。首領独裁の閉鎖体制ではタブーだったからだ。