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【コラム】ニーハオ、こんにちは、アンニョンハセヨ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.21 11:40
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「空を切り裂いて落下する滝のように/僕はよどみない生命を生きたい/キリマンジャロの白い雪/それを支える紺碧の空/僕は風に向かって立つライオンでありたい…」。

1990年代半ばの東京特派員時代に聴いた、日本の歌手さだまさし(61)の曲「風に立つライオン」の歌詞の一部だ。詩のような歌詞を静かに口ずさむ曲であるため、チョ・ヨンピルの「キリマンジャロのヒョウ」を連想させる。内容はこうだ。医大を卒業した若い青年がアフリカのケニアへ医療ボランティアに行く。3年後、日本の過去の恋人から手紙を受ける。「(待ちきれず)私、結婚します」という手紙だ。青年は「僕を怨んでいなかったことに感謝している。あなたが本当に恋しかったが、私はケニアの風景と動物、そして何より私の患者の美しい瞳から離れられなかった。日本はどこかで道を間違えたようだ。辛くないと言えば嘘になるが、それでも私は幸せだ」と返答する。手紙の最後は「遠くからあなたの幸せを祈る。結婚をおめでとう。さようなら」だ。

この歌を初めて聴いて驚いたのは、1970年代初期の実話をもとに作られたということだ。長崎医大を卒業し、1971年から2年2カ月間、ケニアの首都ナイロビの北西側にあるナクル地域の病院でボランティアをした医師、柴田紘一郎(73)が主人公だ。さだまさしは帰国直後の柴田に会って話を聞き、胸に抱いていたものを1987年に歌にして発表した。多くの人々の胸に響き、当時、日本の高校生の医大志望率を高めたりもした。1970年代初め、韓国は普通の海外旅行さえも自由でなかった時期だった。日本がなぜ先進国かを歌一つで実感したという思い出がある。

今月6日、直航便で14時間近くのフライトでナイロビ空港に到着した時、「風に立つライオン」が頭に浮かんだ。柴田がボランティアした時から40年が過ぎた。多くのことが変わっていた。ケニアに住む韓国人は「わずか10年前までケニア人は東洋人を見ると日本語で『こんにちは』と声をかけていたが、今は『ニーハオ』という」と話した。チェ・ムンジョン韓国国際協力団(KOICA)ケニア事務所長(42)は「中国ブームがすごい。3月に当選したウフル・ケニア新大統領の最初の国賓訪問国も中国だった」と話した。1970-80年代には少なくともアジアでは日本と比較できる国がなかった。エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One)』を書いたのが1979年だった。
【コラム】ニーハオ、こんにちは、アンニョンハセヨ(2)


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