仁川見守り100年…カフェに変身した日本の“町家”(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.01 10:49
日帝強制占領期間、ここは日本人が運営する荷役会社だった。1階には事務室があり2・3階の畳部屋には100人余りの朝鮮人労働者が宿泊しながら済物浦港(チェムルポハン)に入ってくる船を待った。港を広々と見下ろせたという3階部屋の壁には当時の人夫たちが残した落書きがそのまま残っている。編み笠を被って歩いていく僧侶の絵のそばに、誰かが日本語で記した。「今夜は会食だ」。
◆荷役会社の建物、2・3階は朝鮮人宿舎…カフェ“pot_R”に
そして100年余り後、荷役会社の事務室はコーヒーや氷あずきを売るこぢんまりしたカフェに変わった。昨年8月に仁川市中区官洞(インチョンシ・チュング・クヮンドン)1街にオープンしたカフェ“pot_R(ポットアール)”だ。仁川のチャイナタウンそばの路地から入れば日本映画でよく見る3階建ての茶色い木造建物が目に映る。朝鮮時代から大韓帝国までの時期、日本の租界地(開港場周辺の外国人治外法権地域)であったこの地域で、内部まで当時の姿を保存している珍しい建物だ。近代日本の店舗兼用住宅“町家”様式で、狭い通路に沿って建物の後方に入れば中庭があり庭のそばには小さな住居が入っている。