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【取材日記】8年ぶりの南北女子サッカー、“京平”復活の契機に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.22 10:58
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ソウル麻浦区上岩洞(マポグ・サンアムドン)のソウルワールドカップ競技場に、北朝鮮国歌の“愛国歌”が鳴り響いた。胸に鮮明な北朝鮮国旗がついた白いユニフォームの北朝鮮女子選手たちが、力強く国歌を歌った。韓国、北朝鮮の女子サッカー代表チームが8年ぶりにソウルで再会した。東アジアサッカー連盟(EAFF)が主管する東アジアカップ2013の初戦(21日)であった。ぎっしりと詰まっている韓国、北朝鮮の梗塞局面に新しい突破口が開く瞬間だった。

韓国、北朝鮮の選手たちは競技場で激しく正面衝突した。終始譲歩のない体の小競合いが繰り広げられたが、相手を刺激したり故意に危害を加えようとする動きはなかった。双方の選手たちは“戦争”ではなく“試合”をした。南側でも北側でもゴールが生まれるたびに観覧席から惜しまない拍手が沸き起こった。

 
南北がきっ抗した綱渡りの状況でやって来た北朝鮮の女子選手は、和解の出口を開く伝令士であった。18日、遅れた時間に仁川(インチョン)空港に到着した北朝鮮女代表チームは、紺色スカートの団体服を合わせて着ていた。洗練美はなくてもすっきりとしていた。100人を超える警察と警護員が彼女たちへの接近を防いだが、20代初めの女性選手たちの好奇心までは防げなかった。韓国取材陣が写真を撮るのを知ってバスの窓のカーテンを閉じない選手や、バスから離れる時は取材陣に向かって先に手を振る選手もいた。

韓国と北朝鮮選手団は日本・中国と共に同じホテルに泊まった。南北選手たちの自然な出会いを期待してみたが現実は違った。日本と中国を間に置いて韓国は5階、北朝鮮は8階に荷物を持ち込んだ。北朝鮮は選手団のために用意されたホテル2階の食堂ではなく、あえて地階で別に食事をした。

韓国、北朝鮮の梗塞局面でスポーツは、どんな分野もやり遂げることはできない和解の機能を果たしてきた。特にサッカーは南北スポーツ交流で先鋒的な役割をした。1991年ポルトガル世界青少年選手権大会では韓国、北朝鮮の統一チームが8強に進出し、2002年9月と2005年8月にもソウルで南北統一サッカー試合が行われた。

そうした点で今回の東アジア杯に北朝鮮男子チームが参加しないのは惜しい。30年代の京平〔ソウル-平壌(ピョンヤン)〕サッカー対抗戦の脈を生かそうとする試みが何度もあったが明確な結実は見られずにいる。

南北女子選手が8年ぶりにソウルで再会したことを契機に、次の東アジア杯では韓国、北朝鮮の男子代表チームも優勝カップをめぐって善意の競争を繰り広げれば良い。今回の大会が、京平サッカー復活の踏み台になればという希望もある。

ソン・エソン文化スポーツ部門記者

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