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【時視各角】論難の中に道を失う=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.04 16:01
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この文章は混乱を招くだろう。混とんの中にあるからだ。

#1.笑い話だ。空き家がある。2人が入った後、しばらくして3人が出てきた。これを眺めた3人の学者が話した。

「測定エラーがあるに違いない」と言ったのは物理学者だ。「いや、生産したに違いない」と話したのは生物学者。数学者の言葉はこうだった。「もう1人入れば、あの家はまた空き家になる」。人を数字で見れば可能な論理だ。2から3を引けば-1であるため、ここに1を加えれば0になるということだ。「もう1人入れば空き家になる」という奇怪な話も数学者には妥当だ。

この話を思い出したのは07年南北首脳会談の対話録をめぐる解釈問題のためだ。読んだという人によって解釈が異なる。お互い国語能力を非難する「自己中心解釈」とし、道徳性まで疑う程度に達した。しかし本当の疑惑の対象は各自のフレームだ。私たちは決して相手を理解できない。フレームの中にいる限り。

#2.「極めて党派的だ。妥協が米国政治の安定の根幹だったが、今は原則を捨てたり売る行為と見なされる。理念政治をするのならフランスに行け」(ロバート・ゲーツ元米国防長官、2012年)。

「言葉は多いが、みんな自分が正しいといって私見で話し…政事は奇妙な議論で混乱し…廟堂では建議するものが一つもなく、六曹はただ文簿の規則を守るだけで、臺諫は細かいことばかり暴き、他人の過去の悪を掘り返すだけで…」(栗谷李珥、1582年)

ちょうど今の政治だ。韓国政治がグローバル化したのか、それとも約430年ぶりにまた朋党政治の脈を引き継ぐことになったのか。時空間のねじれが果てしない。それでもはっきりとしているのは、その間の政争との違いだ。過去には不作為による、結果的国益侵害だった。適切に処理すべきことに手をつけなかったり、後に扱う方式だ。今回は作為だ。あからさまに政派利益を国益よりも前面に出した。国家情報院がそうで、国会もそうだった。いつのまにこれほど大胆になったのか。
【時視各角】論難の中に道を失う=韓国(2)


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