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【コラム】みんな一緒に単独?…現代のスマートフォン事情=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.04 13:38
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この頃ソウルの一部の地下鉄で聞かれる案内放送が印象に残る。乗客が軽い気持ちで出勤できればという配慮を込めて親しみやすい構成にしたのだという。さまざまな文言の中で特に目につくのが一つある。「スマートフォンに足がついて、ちょっとよそ見をしている隙に逃げるわけでもないのですから、乗降車する時にはスマートフォンではなく自分の足を見たら良いでしょう」。スマートフォンだけを見つめて地下鉄で乗り降りし、ホームと電車の間に足が挟まる事故を警戒する内容だ。あにはからんや、地下鉄に乗れば座ったり立ったりしている誰もがスマートフォンだけを眺めている。自身の前に誰が立っているのか、老人なのか障害者なのかも関心の外だ。

このような光景は、地下鉄の電車から降り立ってからも続く。人波の中で階段を特にゆっくり上がる人々を見ると十中八九はスマートフォンを見ている。動画を見てカカオトークを送り、後ろの人々の不便は眼中にない。こんな人々がどんどん増えているという感じだ。そんな時、マサチューセッツ工科大(MIT)の社会心理学者シェリー・タークル(Sherry Turkle)教授が書いた本『Alone together』を思い出す。英語の題名を文面のとおりに解釈すれば“みな一緒に孤独”だ。一緒に集まってはいるが、それぞれスマートフォンのようなデジタル機器に没頭していて事実上は全員が別々である状況をいう。

 
私たちの周辺でも“みな一緒に孤独”は、盛んに目撃される。食堂・カフェだけでもしばらく立ち寄ってみれば確認できる。さらに恋人たちのデート場面も例外ではない。会話もなく各自スマートフォンで文字を送ったりインターネットに接続したりするのに忙しい。会話をする人々の間にいながら一人でスマートフォンと無言の対話をしている人も結構多い。いつ、どこにいても、一緒にいるが別々である状況に慣れてしまっているのだ。

前出の本はまた、文字メッセージやSNS(ソーシャルネットワークサービス)を多く使うほど電話での通話や直接対話を敬遠する現象についても紹介する。こういう現象が続いていけば必然的に顔を向かい合ってする対話が下手になる。実際に地下鉄で時々発生する世代間トラブルの原因の中の一つに、若年層の下手な対話法を挙げる専門家たちもいる。

さらに憂慮の恐れがあるのは、スマートフォンへの執着が周辺や人への無関心につながることだ。そのように見ると基本的な道徳、規範までが脅威を受ける可能性もある。先月、光州(クァンジュ)の街中で発生して話題になった“ケンカ女”の動画事件がその例だ。道路の真ん中で男女がケンカをするのを止める人はほとんどいなかった。その代わりに多くの人が「フェイスブックやブログにアップしなくちゃ」とスマートフォンでケンカの様子を撮影するのに余念がなかった。そうして撮った動画の中の一つがインターネットに掲載された。ところで、ケンカを止めるのが優先であろうか、動画の撮影が先であろうか。基本的な道理よりもフェイスブックが先に浮び上がるとすれば問題にならざるを得ない。案内放送のように、スマートフォンの代わりに自分自身の足をもう一度見てみよう。周囲も注意深く見回そう。そして周囲や人に関心を持とう。それが“みな一緒に孤独”という皮肉な状況から抜け出す道であるようだ。

カン・カプセンJTBC社会1部長

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