주요 기사 바로가기

【コラム】南北会談、“形式が内容を支配する”けれども…(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.14 14:42
0
いくら変化無常な南北関係だからと言っても、やっとのことで合意した対話がこのように空しく失敗に終わるとは。期待が高かっただけに失望も大きい。発端は首席代表の“格”だ。朴槿恵(パク・クネ)大統領は、首席代表の格を重視して「形式が内容を支配する」という確固たる信念を明らかにした。当然の言葉だ。形式は、代表の格を合わせる礼儀から始まる。儒教思想でも自己をこえて礼を実践する克己復礼が広く国際間、個人間の調和のための核心的な手続き(protocol)と教える。共産主義革命をするという人々の「私だけが正しい」という無礼は、革命が消えた今でも精神錯乱として残っていて随所でもめ事を起こす。金正恩(キム・ジョンウン)の特使として中国に行った崔竜海(チェ・ヨンヘ)人民軍総政治局長が軍服姿でふる舞って、その無礼を厳しく指摘され習近平主席に会う時に人民服を着たというエピソードは、彼らの無礼にブレーキがかかった珍しい事例だ。

“形式が内容を支配する”という朴大統領の話もこのような背景においては妥当だ。恐らく朴大統領か彼女の参謀が、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724~1804)の話からヒントを得たのではないのかと思う。カントは『純粋理性批判』という本で「形式のない内容は盲目的で、内容のない形式はむなしい」と記した。朴大統領の「形式が内容を支配する」という言葉はカントの話の前半部だけを反映したのだ。カントは内容と形式の調和・一致を強調したものだが、朴大統領は形式の重要性だけが誇張されるよう強調している。内容の真正性が形式に反映されるという点は無視された。南北関係で形式の支配を受ける内容とは具体的に何か。それは開城(ケソン)工業団地の入居企業らの死活問題であり、いくらも残っていない余生に北に置いてきた家族の顔を一度でも見たいという高齢者離散家族の人間的な望みの問題ではないのか。高尚な哲学的言葉で伏せて通り過ぎる問題ではない。

 
格の問題も難しい。韓国が北側首席になることを希望する副総理級の実力者、金養建(キム・ヤンゴン)労働党統一戦線部長を基準とすれば、韓国の統一部長官の格が落ち、韓国の統一部長官を基準とすれば北朝鮮労働党外郭団体である祖国平和統一委員会(祖平統)書記局長はとても同じ資格に及ばない。韓国、北朝鮮の支配構造が違い、首相級や副総理級でない限り格を水平に合わせるのは難しい。対話のために一方が譲歩するほかない構造ならば、国力で弱者である北朝鮮よりは圧倒的強者の韓国がその負担を抱えるほかはない。会えて対話をしてこそ信頼を積み重ねることができる。


【コラム】南北会談、“形式が内容を支配する”けれども…(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP