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【噴水台】言い訳をするな、格に罪はない=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.13 12:59
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格は本来相手を容認できない習性がある。2人になれば争う。格が2つ合わさった漢字「格格」は互いに打ち合う姿を称する。『潘金蓮伝』にはこのように格が合わず騒々しく争う声を「格格駁駁」だと書いている。その格格駁駁にぴったり合う例がひとつ追加された。数日前失敗に終わった南北当局者会談だ。閣僚級だ局長級だと南北が互いに格を言い訳に状況をぶち壊した。非難の矢は格に集まっている。だが、これのどこが格が非難されることなのか。一度確かめてみよう。

格は本来木が育った形から作られた字だ。漢字の根源を書いた『説文解字』は、「格、木長」と書いている。これが少し過ぎると馬車をつなぐ木の棒や四角形の木枠を示す言葉になった。木の棒や木枠はぴったりと合わせるのが最高の美徳だ。合わないものを無理に押し込むとどこでも問題が出る。車が切れたり風が漏れ窓が壊れる。人同士も同じだ。格が合わなければ争いが起きる。貴族と奴隷、両班と庶民を一緒にすれば何か事故が起きるものだ。

 
このあたりで考えてみよう。格は必ず合わせなければならないのか。もちろん合わせるのが基本だ。古人がさぞかし格合わせを重視したので「厳格」という単語まで出てきたのだろうか。ところで世の中の道理はそうだろうか。時々は格を合わせないのが正解のこともある。新しいものを作る時が特にそうだ。格を破らずに創造はない。「破壊は創造の母」という言葉はとても古くなり陳腐なほどだ。そこで破格が出てきた。破格とは何か。皮千得(ピ・チョンドゥク)は「国民的随筆」になった随筆の「随筆」ですでに模範回答を書いている。「徳寿宮(トクスグン)博物館の青磁硯滴、そこに彫られた秩序整然とした花びら、その秩序を破り若干ゆがんでいる花びらひとつ」、それが破格だ。彼は「ひとひらのレンゲの葉を横に曲げさせるには心の余裕が必要だ」とした。

格は級と親しく、互いに通じる。同格=同級だ。今回の交渉でも南北は格と級を混ぜて使った。級は合わせる時が別にある。スポーツを見よう。級を合わせるのはたいてい力で競う競技だ。ボクシング、レスリング、柔道のような格闘技がそうだ。ヘビー級とフライ級は最初から戦いにならないから体格順が合っている。これに対し技術を競う時は違う。体格は何の問題にならない。ゴルフ、野球、サッカーのような球技がそうだ。

それでは今回の南北当局者会談はどちらだったか。力で競うものだったか、技巧で扱うものだったか。南北が互いに級が合わないとし状況を壊したことを見れば答は自明だ。内心は力比べだったという話だ。もっとも南であれ北であれ、これが級や格を言い訳に壊すべく状況だったか。したがって判定するに、格に罪はない。

イ・ジョンジェ論説委員・経済研究所研究委員

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