日本人拉致・北朝鮮核問題めぐり“23年間足踏み状態”
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.05.20 15:54
北朝鮮と日本の国交正常化交渉は、1990年9月に自民党の水面下の実力者だった金丸信元副総裁の北朝鮮訪問によって初めて本格化した。金丸氏は金容淳(キム・ヨンスン)労働党対南担当秘書に会って北朝鮮・日本の国交正常化交渉開始に合意した。当時、金日成(キム・イルソン)主席は賠償金として100億ドルを要求したが金丸側は80億ドルを提示したと伝えられた。翌年1月に日本代表団が平壌(ピョンヤン)を訪れて開始された国交正常化交渉は92年末まで8回行われた。
だが92年12月、北朝鮮は大韓航空爆破犯・金賢姫(キム・ヒョンヒ)の日本語教師と知らされた李恩恵(イ・ウンヘ)が実は北朝鮮に拉致された日本人女性という日本側からの疑惑提起を言い訳に交渉を中断した。3年後の95年3月、自民党の渡辺美智雄元副総理が連立与党代表団を率いて北朝鮮を訪問し交渉が再開した。だが97年2月に「日本人女性の横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された」という日本の警察の調査が公開され交渉は再び暗礁に乗り上げた。