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【コラム】東アジアで韓国ほど自国の歴史を反省している国はない(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.05.16 17:35
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5月2日から12日までベルリンでは「韓国映画の今日」というテーマで韓国映画の連続上映があった。13日には韓独修交130周年を記念する国立舞踊団「コリアファンタジー」の公演があった。観客の反応は「衝撃的」「幻想的」という言葉に集約される。

「韓国映画の今日」行事の開幕作品は、済州4・3事件を扱った「Jiseul」で、2番目の作品はキム・グンテ拷問事件を扱った「南営洞1985」だった。国際的・国内的に大きく注目された2作品とも歴史性と社会性が濃厚な映画で、集団虐殺と人権じゅうりんをテーマに建国前後と全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁時代を批判的に扱った内容だった。過去なら海外上映どころか、制作自体が不可能なテーマだった。

 
こうした点で、現代韓国の痛みと影を直視した映画が、政府と文化領域の主要機関が共同主催した公式海外行事で上映されるというのは示唆的だった。それは韓国社会の成熟さを反映するためだ。長くダブー視されながら過酷な抑圧を受けてきた済州4・3の集団虐殺問題は、真相究明のための政府機構の設置を含め、済州と韓国社会内部の努力がなかったとすれば、今日、世界の人々との文化的共有は想像することもできなかった。

軍部独裁時代の残酷な拷問問題を正面から扱った「南営洞1985」も同じだった。当時は真実を話すだけで弾圧を受けた状況だったことを考えると、私たちは自分たちが実現した一世代の韓国社会の歴史発展と文化変動に一定の自負心を感じてもよくはないだろうかと思う。世界的な韓流ブームが韓国の民主化以後という点は、自律と創意に基づく自己反省のない文化の発展は不可能であるためだった。

個人であれ国家であれ、人間は誰でも自分の弱みを見せまいとするが、私たちは過去の過ちを反省しただけに未来に進むことができる。すなわち私たちが過去の痛みを省察した文化を世界に出せるという点は、未来の発展と希望の兆候と見なしてもよいだろう。過去直視と自己反省の大きさは希望と可能性の大きさであるからだ。患部を治療しなければ全体の体は決して健康になれない。私たちが“外に”見せて疎通できる程度は、自ら“中から”表して克服した健康性と同じ程度だ。


【コラム】東ア垃アで韓国ほど自国の歴史を反省している国はない(2)

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